1318.
意味のある生を求めるのであれば、書くことと生きることは不可分である。そうであることを止めた途端、世界は語り掛けるのを止めてしまう。


1319.
過ぎ去った苦痛に尊大な顔をさせておく者を私は好まない。それは自らの存在を、生を、歴史を、移ろい行く地上的なものが支配しておくことを許すと云うことだからだ。眼差しは常に障害をではなく、その彼方を見詰めていなければならない。


1320.
若し子育てなんぞをしなけれなばらない様な羽目に陥ったとしたら、私はきっと早晩耐え切れなくなって、度胸が有れば逃げ出すか、さもなくば不様で悲惨な泥沼へ向かって突っ走って行くことになるだろう。理性も想像力も持ち合わせていない、人の形をした生き物の相手は、大人だけで沢山だ。だが考え様によっては子供達の方が大人達よりは増しかも知れない。少なくとも彼等には、何時の日にか多少の分別を身に付けるかも知れないと云う可能性が有る。未来への希望は、現在の苦痛を軽減してくれる。だが若しそうはならなかったとしたら………!
 と、そこで鏡を覗き込んで怖気を震うのはお約束である。


1321.
今にしてつくづくも惜しむべきは、私が二人の兄達だか姉達だかと同じ運命を辿らなかったことだ。その頃ならまださっぱりと諦めも付いたろうに。


1322.
私は別に生きることを嫌っている訳ではない。たまに気の迷いから悪態を吐いてみたりもするが———いや、ひょっとしたら今言っていることの方が気の迷いに因るものかも知れないが———、基本的に生はそれなりに面白いものだ。私は但、生活することが嫌なだけだ。地上生的な生を送ることのあの糞忌々しい不様さがどうしても私は我慢ならないだけだ。


1323.
世界は私から成り立っているが、私が「私」と呼ぶとろこのものは他人に過ぎない。
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