1275.
戦争:金の話によって開幕し正義の話によって締め括られる、一部の政治家と経済人による国際シンポジウム。従来、大量の血と騒音が排出される点がピクニックと異なっていたが、様々な技術の進歩により、近年は苦情を大部分無力化することが可能となっている。


1276.
生活することの余の惨めさに打ち拉がれぬ日の一日とて無い………そんな毎日を送っている。有り体に言うと、今夜のメニューを考えたり、ツンと来る空気を呼吸したり、追い立てられる様に歩いたり、あくせく働いたり、愚鈍で気違い染みた精神もどきを引き摺る他人共とでも会話を楽しんでいる振りをしたり、胸のむかつく昆虫の大群の様な人の群れの中に立ち混じって満員電車に乗ったり、夢の残滓の代わりに頭痛を抱えて目を覚ましたり、行動に於ける瑕疵に不愉快を感じたり、服を着たり脱いだり、ATMの手数料を気にしたり預金残高を計算したり、トイレへ行くのを我慢したり、理解不能な愚行で一杯の記事を読んだり、冷たい雨の降る日に傘を差したり暑い日に汗をかいたり、兎に角そうした、大金さえあれば大抵は片付いてしまう様な悩み事に始終付き纏われ、自分の意識の少なからぬ部分を占拠されてしまっているのが気に入らない、胸糞が悪い、もううんざりだ。そしてそんなことにかまけている内に何時しか、私の中の、もっと静かで強烈に存在している部分はそれらの彼方に埋もれて見えなくなってしまい、単なる生存への飢えとその満足とが、あらゆる私の上に君臨する様になってしまう。ここは正に「死の家」、いや「死の社会」だ。誰もが生きている振りをしたがるが、その実誰もが生きつつあるのではなく死につつある世界、深みも無ければ神秘も驚きも無い、存在の落伍者達が勝利者と成る世界だ。


1277.
愛国者:「売国奴」の婉曲的表現。「売国奴」よりも、利益を受ける者と損失を被る者との境界が曖昧になる為、権力に近い所に居る者程好んで用いたがる。


1278.
これ以上は無いと云う位形而下的な痛みに数時間のたうち回った後で、一体如何 (どう )して言葉や思想や音楽が信じられようか。それらは皆苦悶の後になって遣って来たのであって、苦悶の最中には何もしてくれなかったではないか! この場合、呪うべきうはこの忌々しい肉体か、救済とは成り得なかった生命の便宜達か、それとも救いを受け付けなかった私の心か。


1279.
名前を欲しがるのは病の兆候である。そもそも自然に名前など無い。名前を知って世界の全てを知ったと思い込むのは、あらゆるものから自分自身を疎外して、自らを閉じ込める檻を作って喜んでいるに過ぎない。確かに名前は救済への入り口とは成り得るが、最終的な目的には成り得ない。
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