1243.
母親に、「これから生まれる」と断ってから生まれる子供は居ないし、子供に「これから生む」と断ってから生む母親も居ない。互いの行為に関して最低限の言い訳すら提出されないと云う、この甚だ当惑させられる無礼極まり無い事実は、生誕と云う出来事を何か如何わしい行為以前のもの、災難か突発事故の様なものにしてしまうと同時に、当人達も容易には気付かない深い深いレベルで、我々の生存の斯くも無遠慮な不快さと傍若無人振りを規定付けている。しかもこの手のことは「悪魔の証明」に属する事柄であるが、保証人どころか目撃証人さえ居ないのが普通だと来ている。斯くも無思慮に始められてしまった私と云う事象に対して、私は抗議する正当な権利を有していて当然だと思うのだが、だが存在とやらに対する釈明を、一体誰がしてくれるものやら。


1244.
私が人前で私の片鱗をちらとでも覗かせようものなら、人々は忽ち寄って(たか )って私を袋叩きにしようとする。斯くして私の仏頂面は更に陰気な憤懣遣る方無い色を帯びて行く。


1245.
絶えず不安に脅かされている無知であれば、尽きせぬ驚異の源泉を探り当てることも可能であろう。だが己に安住し切り、耳を塞いで飢えを覚えない無知は………。


1246.
何かであることの腹立たしさ、何でもないことの口惜 (くちお )しさ。———そこで私は、ちゃぶ台返ししか逃げ道は無いとの考えに至る。


1247.
仮令クレオパトラに関する史実を幾ら寄せ集めてみても、それはクレオパトラではない、と云う端的な事実を前にしても、集める者集めさせる者双方が大真面目でいられるとしたら大したものだ。だがそれでも、玉葱の皮剥きをする空しさに比べたら何程のものでもない。


1248.
結局どれだけ足掻こうとも、一片の千切れ雲に匹敵する詩すら、私からは生まれて来ない。ならば、詰まらぬ見栄に拘ってみたところで何がどうなると云うのか。


1249.
私が他人と云う存在と和解することなど有り得ない。若しその可能性の萌芽が生じて来ることがあるとすれば、それは私が人を殺した時位のものだろう。だがその場合でも、私が天地を抱き締めて泣くことはあるだろうが、他人を抱き締めて泣くことがあるかどうか………。
inserted by FC2 system