1229.
良い車も悪い車も無い。耐え難い車と、少しは増しだがやはり耐え難い車とがあるだけだ。凡そエンジンなどと云う代物で動く他の乗り物一般についても同じことが言える。頭痛持ちにとってあの振動と息苦しさは責め苦以外の何物でもない。


1230.
意識と云う病を抱えた人間にとって、時宜を逸して続けられた生と云うものは須く自らのパロディと化す傾向を持つ。私の場合、一番遅く見積もったとしても、16才以降の生は全てこれに当て嵌まる。


1231.
同一性への固執は、私は、出来れば無いよりも有った方がいいと思う。広大な知と意志の光景を一度知ってしまった以上、その快楽を手放すことなど出来そうにないからだ。が、そこでヘラクレイトス的な視点を失ってしまうと、誤解の上に成り立つ悪しきパルメニデス主義が、詰まり、存在に対する無反省な居直りが幅を利かせ始める。


1232.
私の三大欲求———表現する、吸収する、眠る。詰まり、書く/描く、見る/聴く/読む、微睡む/夢を見る。これら無くしては生きられない。


1233.
悪罵も所詮は言葉のひとつだ。人を賦活する時もあれば、逆に活力を吸い取ってしまうこともある。この物憂く気懈いだらだらとした倦怠の中で、私はあの生きた魔法の言葉をひたすら恋しく思っている。


1234.
我々が日常に於て偶然だの必然だのと呼び慣わしているところのものは、要するに宇宙が我々なんぞに関心を抱いているなどと云う途方も無い妄想を投影したものに過ぎない。況して愚か者は自らが作り出した、或いは他人から手渡された窮屈な檻を、やがて世界それ自体の枠だと思い込む様になる。可哀想に。だが同情には及ばない、その檻の中で起こるちっぽけな悲喜劇の外側へは、そもそも彼等の想像力は働かないからだ。


1235.
人間社会は色々と詰まらぬしがらみを私の認識に押し付けてくれたが、それらを詰まらぬと認識出来るのもまた、人間社会が押し付けた詰まらぬしがらみに依る。げに業の深きことよ。
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