1227.
結局何ひとつ解らない儘、そして何ひとつ生み出さない儘、ここまで生きて来てしまったと云う切迫した焦燥感が、どんよりと陰鬱な憂愁の中でゆっくりと再び鎌首を擡げ始める。執行猶予された儘の不安が、机の前に座る度に、頁を捲る度に、一歩足を踏み出す度に、緩慢に揺らめき乍らじわじわと増大し、私の脳髄を圧迫して来る。嘲笑う法外な虚無の余りに冷淡な無関心さに、私の歯車はひとつ、またひとつと外れて行き、潮が満ちて行く様に定かには判り難ねるがしかし着実に、狂気の淵が救い様の無い闇の暗さを深くして行く。より拡大され強化された生を得んとする已み難い衝動が暫しの平穏をかなぐり捨てて私の意識を悩ませ始め、私はそれに不遜で挑戦的なポーズを取って応じてはみるのだが、自らの無力無能さ加減に対する痛ましいまでの自覚が、私に逃げ道を探しておくよう囁き掛けて来る。()ての無い失墜の感覚が絶え間無い価値の剥奪と共鳴を起こし始め、私の口をどもらせ、筆を握る手を鈍らせ、足を止めさせる。眠る様に息衝くばかりだった若き日の狂躁が、それよりも尚更に執拗な厭世観と手を取り合って、ぎりぎりまで押し殺されたピアニシシシモから不気味なクレッシェンドを奏で始める。甦り続けるキリストの如き恐るべき邂逅への予感が、夜明け前の曇天の様などんよりとした輝きを放ち始め、次第に膨張の速度を上げて行く。抑圧された強大なエネルギーが歪み撓んで兇暴な牙を剥き、荒れ狂い吼え猛る音が、牢獄の暗く長い長い廊下に谺しているのが聞こえて来るが、敢えてそれに応えようとする声はひとつとして無い。狂おしいまでの悶えが水面下で激しく渦を巻いているが、呻きに耳を貸すものは冴々とした月の光の他は何ひとつ無く、一面に絶対の黙殺があるばかり。私の精神は研ぎ澄まされて行くが、その伸ばした手は何にも行き当たらず何処までも空を掴むばかりで、焦った私は混乱の堰を切ってしまい、乱れた思考は様々の概念や想念、体系や思い出の断片を慌ただしく繋ぎ合わせては、継ぎ接ぎだらけのガラクタ細工を作り上げ、直ぐに又壊して行く。夜は益々深くなって行くが、その底に何があるのかは見当も付かない。表層の雰囲気だけは格調高い悲劇の様相を呈して来るが、そこで現れ来る破局がどんな姿をしているのか、それはまるで幽霊の声を聞き取るのにも似て、幻妖で掴み所が無い。私の他には誰も居ない——私と、灰色の世界だけ——筈なのに、私は何故か世界から隔てられて、独りで在る。私は世界には違い無いのではあるが、しかしこの頑強な眼差しが執拗に居残り続け、cogito qua cogitatum ばかりがひっそりと膝を抱えて蹲っている。目に映るものの全てが、もう何遍も繰り返し繰り返し観たフィルムのすり切れたサイレント映画の様に奇妙に生気が無く、もう遙かな永劫の昔に何もかもが死に絶えてしまって、その幽霊の様な影ばかりが生者の振りをして映写を続けている様を思わせる。時間はまるで進むことを忘れてしまったと云うか、最初から進んでなぞいなかったかの様にピクリとも動かず、それでいて破局の、いやそれどころかもっと不徹底な途絶の足音は、ひたひたと次第に大きくなって来ている。鬱屈した悪夢が体中に溢れ出す。悲鳴と怒号を混ぜ合わせた焦燥が大気を焦がす。そして何時まで経っても何も起こらない。


1228.
思索家としても詩人としても、私がHPLやブラックウッドの様な退行的ロマンティシズム——つまり、回復されるべきものが前にではなく後ろにあると考えるタイプの幻視主義——に与することが出来ないことの恐らく一番の原因は、私の個人史に於て世界喪失感が余りに早くから現れてしまった為、失われた黄金期の空白を埋めるべきものとして過去を機能させようとしても不可能なまでに、私が幻滅されてしまっていることではないかと思う。思考の意義を認めるかどうかも重要な問題だ。考えることより感じることを、論理よりも美的感覚を重視する立場に、私は身を置くことが出来ない。思考は確かに或る段階に於ては捨て去るべきものではあるが、しかし最初からではない、然るべき否定と構築の手順を幾つも踏んでから初めて、考えることを抛つことが許されるのである。また、世界の分化は確かに頽落の一形式ではあるけれども、だからと云って一足飛びに未分化の状態へ戻れば良いと考えるのは、分化の過程で獲得された広がりをみすみす放棄する愚行でしかない。思考を超えた境地と云うのは単に思考を手放せば手に入ると云うものではなく、寧ろ思考を鍛え、精錬し純化した後にしか到達出来ないものなのだ。
inserted by FC2 system