1177.
徴兵制度に期待し得る教育的効果としては、主に以下の二点が挙げられる。
 1)凡そ軍隊などと云うものが如何に莫大な資金・資源・若者の活力を浪費させ、しかも全く無意味であるばかりか時に実に有害な目的の為に奉仕することを国民に強要する馬鹿馬鹿しい代物であるかを実体験させる。
 2)国家が国民に求めるのは思想や信条を持ち、思考力や感情を備えた個々の人格ではなくして、命令される儘に何の批判もせずテキパキと作業をこなすロボットであり、(いず )れは使い捨てにする積もりであると云うことをよくよく覚えさせる。


1178.
誰もが、肉体を持ってしまったことに対する罰を受けさせられる。死がそうだと考える者が居るかも知れないがそうではない。


1179.
私の人生の中で最大の不幸と呼ぶに値するものは未だ経験したことが無い。後から振り返ってみれば、どれもこれも些細な詰まらぬ騒ぎばかりだった。だが私の人生の外で既に経験してしまった最大にして唯一の不幸については、今でも充分に深く悲しむのに値する。


1180.
誰もが、肉体を持つと云うことの呆れ果てた過ちに対して償いをしなければならない。この日常と云う奴が正にその為の罰である。


1181.
宇宙が私をよく味わえるように、最善の食材に成ろうとすること。


1182.
我等が狂気に形を、居場所を、目的を与えること。それで癒える訳ではないが、少なくとも今よりはずっと耐えられる様になる。


1183.
有意味な世界は、関係性によって成り立っている。先ず始めにAと云う独立した要素、Bと云う独立した要素があって、然る後にA-Bと云う関係が生じるのではなくして、A-Bと云う次元、相、コンテクストが予め与えられることによって初めて、AとBはA-Bと云う関係の関係性の内に有るものとして同定可能な意味を持つのである。A-Bとは詰まりAがA、BがBたり得る為の場であって、そこを離れてはAもBも存在しない。AとBの関係性はどちらかがどちらかへと一方的に結ぶものではなく、AとBがA-Bと云う舞台に同時に上がることによって初めて、AがAであり、BがBであり、A-Bと云う関係を結んでいる世界が開けるのである。
 ここで私が語っているのは記号論や認識論の話ではなくして、認識論的な存在論の積もりである。私は人間の心の働きについて語りたいのではなく、世界について語りたいのである。その上で、我々に認識可能な世界は我々に認識可能である限りに於ての世界でしかない、と云う自覚が打ち消し難く節度と分別を求めて来るからこそ、こうした形での語り方が、そもそも「事態が成立する」と云う事実を救う為の、私にとっての最善の譲歩と云う訳なのである。
 我々は虚妄の内に生きている訳でもないし、多様性が虚偽を意味する訳でもない。世界とは謂わば無際限の煌めきであって、そして煌めきのみによって成り立っているのである。その背後にそれ以上のものを求めようとするのは、それは詰まり新しい煌めきを探し求めようとする行為であって、それは自体がまたひとつの煌めきを生む。あらゆるものを成すのはその煌めきであって、結ばれた手と手の先に何があるか、ではなく、手が繋がっていると云う事実、これこそが、真に重要な意味を持つのである。
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