1161.
未だ〈現在〉と云うものを生きたことが無い。その圧倒的な不在が私を圧し潰す。


1162.
意識は、長いこと人間をやっていると稀に罹かる病気である。但し、労災は下りない。代わりに山程の誤解の責任を背負い込まされる。


1163.
奴隷であることを喜べと要求される。拷問に掛けられることを感謝しろと説教される。檻に閉じ込められていることを楽しめとけしかけられる。


1164.
(いず )れ闘争が避け得ぬもの(定められたもの)であるならば、私と世界だけでありたい。だが、実に雑多な夾雑物が、己れの第一義性を声高に主張して来る。


1165.
「生活」のことで頭を悩ませている限り、人間は単のゴミクズに過ぎない。ゴミクズ同士の間での貴賎の別はあるが、それでもやはりゴミクズには違い無い。


1166.
最早殆どどんな映画も、それが現在的である時点に於て既に私の興味を惹かなくなって来た。私が感興を覚えることが出来るのは、私が昔観た映画、観たかも知れない映画、観るべきだったかも知れない映画、或いは、今の私には手が届かない距離にある昔に作られた映画等だけだ。現代の神話は、作られるものではない、再消費されるものへと成り下がってしまった。この原因は私個人の変化に因るものか時代の変化に因るものか、恐らくは両方だろう。


1167.
一瞬一瞬毎に朽ち果てて行く。疾っくの昔に生長し切って限界を迎えた脳細胞が自らの無力さ加減を悟って、(いず )れ訪れる完全な崩壊へと向かって死滅を繰り返して行く。風がひとつ吹く度に、繊細な洞察の数々が失われ、明晰さを取り違えた鈍重さのみが太々しく居残り、私が最も嫌悪し忌避する想像力の無い輩に、自分自身が日毎に近付いているのが解る。己が魂の内部を見詰め続ける根気と情熱も最早減衰の道を辿り始めて久しく、絶望に対する反動も徐々に弱まって来ていると云う自覚もある。私に出来ることは大概もうやり尽くしてしまって、後はもう、老人の長々とした言い訳の繰り事が延々と待ち受けているだけ。激しい後悔と恥辱の念も既に幾重にも水増しされたものでしかなく、己が無能を直視することを避け、みっともなく目を逸らし続けて生きたことのツケが、今や重くのってりとした鎖となって、私の思考を雁字搦めに縛り付け、阿呆の烙印を刻み付けている。私は熊の様に同じ所をぐるぐると何時までも回り続けるが、当然何処に行き着く訳でもなく、突然ふいっと道が開けたりすることも無く、唯々所与の確定済みの領域を何の理由も目的も無くうろついているだけ。ずっと以前に粗方生き尽くされてしまった生が惨めたらしく苔むした丸太の様にごろんと転がり、何を弁明するでもなく投げ遺りに日々の湿気を吸い込んで無意味に重く、腐り易くなって行く。私はもう死を待つだけの老人だ。この目で深秘を目にすることも、驚異を手で掴むことも、静かな歓喜の認識に包まれることも無く、不様にボロボロになって、何の展望も将来性も持ち合わせず、この緩慢な死の(かいな )の中でうつらうつらと眠りこけ乍ら、完全なる失敗に終わってしまったこの生誕よりも以前に遡って行きたいと、唯それだけをぼんやりと希って、後悔し、呪詛を連ねて、溜め息を吐いている………。
inserted by FC2 system