1155.
言語化は須く、言語による事態そのものをも含むあらゆる事態からの離脱・外化・疎外であり、私の文体は全て、そうした事実の認識に基づく謙虚さによって貫かれている。事態と即融的な「リアルタイム」言語などと云うものは有り得ないと云うのが基本的立場である。*

*但し誤解して欲しくはないのだが、一見記述文と見えるものが実は遂行文だったりする。あらゆる言語化は詰まる所ひとつの事態ではあるのだが、或る種の言語化は世界の再生産ではなく第一次的に生産だったりするのである。


1156.
神秘は目の前に有る。だがこんなにも明々白々なことに何故誰も気が付かないのか、気付いたとしても極く一部で満足しているのか、不思議で仕方が無い。自動化され短絡化された驚異を失った生活の中で暮らして行くことなど、私にはとても考えられるものではない。


1157.
ひとつの〈気分〉で、〈雰囲気〉の私が性格を染め上げること。その悍ましさを自覚し乍ら、一度始めてしまうと病み付きになってしまい止められない。


1158.
一切の行為は無論空しい。だがそれに遙かに先立つ事実として、一切の存在は、それも、あれやこれやの存在者がと云う意味ではなく、存在と云う事態そのものの成立は、空しい。この点を見落としてしまうと、幾ら行為の否定を繰り返したところで、それは結局の所ひとつの行為に過ぎない。*

*日本型の「無常観」がそのいい例である。基本的に「うたかたの流れ」に感ぜられる「もののあはれ」の類いは、個々の存在者を無自覚に受容してしまった後で発生して来る一感興に過ぎない。


1159.
言葉であらゆるものを表し尽くせると考えるのは、傲慢か怠惰の為せる業だ。言葉では表し尽くせないものが有ると考えるのも又、傲慢か怠惰の結果だ。*

*私のこうした物言いが時に「禅」的に見えることがあるとしたら、それは結果として「禅」に近付いたのであって、私が「禅」から何かヒントを得たり知恵を授かったりしたからではない。影響を受けたとしてもそれは明示的ではない漠然とした背景的なものに留まる。


1160.
永遠を見るのは何もそう難しいことではない。一寸考えて、目の前に既に差し出されているものに気付けばいいだけ。実に簡単なことだ。
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