1147.
毎日が奇跡だ。よくもこれだけ下らない日々を今まで生き延びて来たものだ。


1148.
退屈は、娯楽と同じく、力有る者の特権である。その認識によって何の慰めが得られる訳でもないが。


1149.
彼等がどうやってこの平凡な日常と云う奴を嬉々として享受しているのか、私には見当も付かない。


1150.
このデタラメ極まり無い世の中で満足して暮らすには、成る程、極度の近視眼である必要があるらしい。得られるのは豚の満足だが、出て来る不満も豚の不満だ。


1151.
確かに私は他の人間を悉く見下し、その愚かしさにほとほとうんざりしているのだが、だからと言ってでは私は私自身をよっぽど上等な代物かと考えているかと言うとそうでもない。何故なら、私自身一匹の俗物に過ぎないからであり、私は私自身をも見下し、その愚かさしさにほとほとうんざりしているからだ。但、私自身についての場合は、自分自身を見下し、その愚かしさにうんざりしている私の存在を直ちに確認出来るのに対して、他の人間に関してはあやふやな推測を巡らせるしかない。その非対称性が、両者に対する私の態度の見掛け上の違いを生み出しているのである。


1152.
三人称とは謂わば神の視点からの語り口である。私はそこまで傲慢には成れない。それに第一、私自身に対して不貞を働いてしまった様な罪悪感が、そうした切り換えを押し止めてしまう。


1153.
極めて浅く短い眠りの中で、単にあれやこれやの不在や消滅を願うのではなく、存在と云う事態そのものに対して(ノン )を突き付けてしまった。その後、目が覚めて日々の務めに戻ったが、私は一体こんな所で何をしているのだろうと云う思いが何時までも消えなかった。


1154.
同じ(そら )などと云うものは無い。
inserted by FC2 system