1102.
「健啖」と云う単語が自分にとっても意味のある言葉だと気が付いた時にはもう遅過ぎる。食べると云う行為に苦痛の要素が忍び寄って来てしまった以上、私としては以前にも増してこの世の馬鹿馬鹿しさを呪い乍ら、曾て存在していた筈であった「健啖」の状態を羨望を以て懐古しつつ、日々の拷問と馴れ合って行けるよう現在を耐えて行くしか無い。実に、食事を楽しむと云うあの恥ずべき頽落を懐かしむなどと云う恥辱を私が耐える為には、そんなものを吹き飛ばしてしまうこの具体的な現前する苦痛が必要だったのだと考えることによって、何とか面目を保とうとはするのだが、それで不快感が消え去ってくれる訳も無く、私は自分が舌や唇や胃袋の集合体と化してしまった事実に終始悩まされることになるのである。


1103.
皇族(日本):作り笑いを貼り付けた精嚢と子宮の袋詰めパック。旧帝国政府の手により、服用すれば御守りにも免罪符にもなると云う迷信が民衆の間に広まった為、今でも為政者が物事を誤魔化すのに屡々愛用する。


1104.
世界が———少なくとも認識される世界が、不可逆的にして十分に複雑な関係性によって成り立っている以上、それは大原則として一回性のものであり唯一無二のものであるが、しかし関係を持てるのは元々或る程度の一般性、普遍性を持ったものでなくては不可能なのだから、その意味ではあらゆる認識可能な事象は完全に唯一的であると云うことは有り得ない。だがそこで日常的に同定されて行く「実体」と見做されるものどもが、ひとつの顔をしか持っていないと判断するのは誤りである。実体を同定する為に必要な事象は即ちその場で切り結ばれる関係のことなのではあるが、この関係は常に潜在的に多層的・多元的に働いていて、一義的な確定を素直に受け入れるものではないからである。そこで重なり合っている諸々の関係は互いにホロン内で対抗していたり矛盾したり食らい合ったりすることもある。それは存在論的に見れば全てそれらが同定された時点で、()べて等価なものとして一旦受け取らねばならぬものであり、そのどれもが、その「実体」に纏わる不可避の構成要素なのである。


1105.
「人生」或いは「生活」の「意義」「意味」「目的」と云ったものは、個々の理念それ自体としては、実のところさして真剣に受け取る必要は無い。重要なのは各人がそれを生きることによって、自らのちんけで惨めったらしく労多くして矮小な生を、何とか納得して耐え忍ぶ様になる、と云う一点にある。私自身はどうかと言えば、私はこのちんけで惨めったらしく労多くして矮小な生に納得などしていない。日々毒吐いてばかりいる。


1106
理念化された身体の儘でずっと誤魔化し続けられればいいのだが、そうもいかない様だ。綻びと言うのはどんな瞬間からも隙を逃さずきっかけを作り出そうとする。私が五感を憎むのは、それが基本的に裏切りの繰り返しによって成り立っているからだ。感覚的現実は過剰過ぎる。それは美や真や善を入れるには大き過ぎて全く役に立たない容器であり、元々不純物の多過ぎる浄水槽なのだ。
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