1096.
何故無限の可能性に対して開かれてい乍らも実際には偏狭著しい人間の視野をわざわざ更に狭苦しくしようとする輩がこれだけ大量に(それこそ売る程)満ち溢れているのか、全く理解に苦しむのだが、このことについては私は悩む位なら怒ることにしている。阿呆共に私を傷付けさせなければならない理由は無いのだし、個物に関わる時は、こちらも出来るだけ具体的になっておいた方が建設的と云うものだ。


1097.
存在者の罪禍に対する悔悟に、遅過ぎると云うことは無い。だが余りに遅くなってから始める場合だと、死滅して行く一方の脳細胞がそれについて行けずに浅薄な結果しか出ないことになるし、また若い内には、これに気付き易いものだが、それも大抵の場合一過性の疾病の様なもので済まされてしまって、折角伸ばされた枝もその後長いこと放ったらかしにされて血液が通わなくなって壊死を起こしてしまい、いざその時になってからあの狂おしい情熱をもう一度、と意気込んでみても、詰まったパイプに無理に水を流し込むのと同じで、バラバラに破裂してしまうのがオチである。であるから、何かとして在ることのバカバカしさは成可く常に意識しておくのが良いのであって、それは後になって不様な痴態を曝さない為の予防策なのだ。


1098.
瞬間瞬間がかの〈名付け得ぬもの〉への裏切りである生を生きる。余りに不様で無知なその有様には心底腹が立つが、しかしこれはこれでそれなりに面白かったりする。実に面目無いことだ。


1099.
この世界が凡そバカバカしいものだと云うことは分かっている。実際問題としては、それがどんな風にバカバカしいのかを何処まで見極めるのか、と云う問いが残ることになる。


1100.
じくじくと膿んで爛れて腐る一方の季節に本を読もうと試みる。この徒労が程度の差はあれ普遍化出来ることに気付いて自嘲する。仕方が無いので一個の肉体に徹してみようかと考える。だがそこにもやはり普遍化傾向が見出されることは解り切っているので、何とか怠惰に任せて妥協点を探れぬものかと思案する。数ある存在者達の中でも特に下らない存在者に成り下がる。その儘腐って行ってくれぬかとも思うが、私がどう思おうと結局は腐ってしまうのは明らかであるので、もうどうしようが所詮同じなのだと嘆息する。混乱しつつも、要するに私は季節の流れに負けて白旗を上げる。この広大な宇宙に於ける人類の栄光とは、詰まる所掃き溜めに棒切れで文字を書こうとする程度のことなのだ。


1101.
愚劣な戦争と云うものは(凡そ現代の国際社会に於て愚劣でない戦争なぞ存在しないのだが)、理性によってではなく算盤と感性によって主導され遂行される。平気で嘘を吐く輩とその嘘に騙されたがる輩とが、筋道立てて考えようとするまともな想像力の持ち主を押し退けてしまうのである。
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