1081.
望郷の念の果てに知的誠実さを備えた人間が辿り着くものは何か———ゴーストタウンの現実だ。


1082.
自らの行動が第一義的な正当性を持っていないことに我慢が出来ないのであれば、一切の行動を止めるべきだ。少なくとも行動に厳密な一貫性を持たせたいと思うであればそうすべきだ。それにそんなことより問題になるのは、我慢出来ないことではなく、我慢する必要を全く感じない場合だ。


1083.
人の成長は大体二十歳の頃には停止し、後は徐々に死んで行くだけである。だから、二十歳以降に何かが起こったとしても、それはさして重要な問題ではない。定項の確定されてしまった数式の内部で変数が幾ら変わろうと、数式そのものの姿は変わりはしないからだ。


1084.
愚劣には二種類ある。自分のであれ他人のであれ、放っておいて只通り過ぎて行くのを待っていた方が良い愚劣と、積極的に関与してきちんと正さなければならぬ愚劣だ。使える時間と労力は限られている。両者の見極めをきちんとしないことには、気が付いた時には途方も無い無駄がごろんと転がっているだけだった、と云うことにもなりかねない。


1085.
存在していること———実のところ、真に怒りに値することはこれしか無い。後は全て、存在していることから来る派生物に過ぎない。


1086.
形を持つこと無くしては、形を持たなくなることは出来ない。形を持たなくなることを目指さないのであれば、形を持つことには意味が無い。両者は矛盾しない。


1087.
或る欲望の中に別の欲望の姿を嗅ぎ取ることに慣れてしまうことを、「能力」と呼んでいいものかどうか時々迷う、確かに、一見ひとつしか与えられていない現実の中にもうひとつの影を見出すこと、これはより深く広い世界を生きる為の能力であり、長い時間を掛けた教育と訓練の成果である。だが、それは苦悩の質を高めてくれはするが、苦悩そのものを消してくれる訳ではなく、時にはボヤきたくなったところで、誰が私を責められようか。


1088.
日本本州の夏は殺人が良く似合う。それも計画的犯行ではなく衝動的犯行が。こう暑くては人の一人や二人(バラ )したくなるのも、人の性として当然と言うべきである。捜査の過程でえい畜生、やってられるかとまた人殺しが起きたとしても仕方あるまい。「殺人的な暑さ」と云うのは、暑さに人がやられて死ぬと云う意味もあるが、「殺人を誘発する暑さ」と云う意味もあるのである。とくかく今日は気が狂うどころの話ではない、魂を抜かれる様な暑さだ。
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