1068.
我々は無知たるべく生まれ付いている。だが、自らの余りの傲岸に時に戦きつつも、どうしてもそれに抗わずにはおれない。自らの有限さ加減に対して怒りを込めて抗議の声を上げること、これ無くしては、一切の有意味な行為がその根拠を失う。自足した神々に成れぬのなら、いっそ不満足な豚に成るべし。才覚があればその内豚から天文学者に鞍替え出来るかも知れない。


1069.
認識する場合ならともかく、行為する場合には、物事の尺度を間違えてはいけない。一寸ピントがずれてしまうだけで、全てがぼやけて意味を失ってしまう。今、ここと全てとの繋がりを理解し、その上でその場その時に最善の選択を為すべし。


1070.
一度深い退屈の味を覚えてしまえば、後はどんなに大量の些事で日々を埋め尽くそうとしても、その全き無力感から逃れることは出来ない。幾ら生の余剰の副産物だからと云って、こんなものを有難がる奴はそういない。


1071.
我々が何かを得たいと望む時、秘かに、時には公然と、それを失いたいと云う欲望が滑り込む。単なる気の迷いとして無視してしまうか、或いは上手いこと共犯関係を結ぶことが出来れば結構。だがそれに魅せられてしまった者としては、この先何もかも第一義的に欲することなぞ凡そ出来るものではない。


1072.
私がコンサートに殆ど足を運ばない主な理由は、そこに人が多過ぎると云うものだ。あれだけの視線と同席してい乍ら、どうしたら音楽に没頭することが出来るのか解らない。私は音楽を共有したい訳ではなく(まぁ、たまにそんな気分になる時もあるにはあるが)、唯音楽それのみと一体に成りたいのだ。聴衆席のひとつに縛り付けられると云うことは、延命処置を施された植物人間状態の儘ベッドに釘付けにされるのに等しい。


1073.
全てを知らない内は、何も知らないのと同じことだ。だから自分が何かを知ったと思い込む瞬間があったら直ぐ様それを嘲笑うがいい。


1074.
見逃したことや言い残したことどもからの復讐に絶えず怯えている———この恐怖感を共有出来ない者とは、私は共に孤独に成れない。


1075.
こうして私が愚にもつかないことを書き散らしている間にも、舞台は秒速三十万キロメートルで広がって行く。そこで自嘲してみるが、これは苦痛を和らげたり傷を癒したり、或いは一時的に誤魔化したりする為ではなく、冷静にその軋轢へと立ち向かう為の心構えを作る為に行われる———少なくとも、そうあるべきである。
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