1051.
言表可能な場合、「物自体」は常に土台を成す余地として表される。ならば最初から何も語らなくても同じではないのか? そうではない、我々は何故か何処までも語り続けようとする。その理由は、よく冷えたお茶でも飲み乍ら、じっくり考えることにしよう。


1052.
そもそも、凡そ誇大妄想狂並みの傲慢さが無ければ、とてもものなど書けるものではない。私が特別に傲慢な訳ではなく、私は他の者よりも一寸正直なだけなのだ。


1053.
私は干物ではない。よく似てはいるが、少なくとも私は食べられない。


1054.
サーヴィス残業:仕事が生き甲斐で、賃金や自分の健康よりも仕事の方を優先させる模範的な良き労働者が、所属組織の利益に貢献する為、規定の時間を超えて無料で奉仕労働をすること。労働者の基本的権利のひとつ。


1055.
今この瞬間も自分や他の者の生命を失うことへの恐怖や、或いはもっと恐ろしいことへの恐怖に怯え乍ら眠れぬ夜を過ごしている人々が居ると云うのに、それに比べれば遥かにぬくぬくとした安逸を貪っている自分を恥ずかしく思う時がある。「世界中が幸せでなければ私も幸せには成れない」症候群と云うやつだ。月の裏側の岩石の組成がそうなっているのか知らずとも良心の呵責を覚えることは無いのに、地球の反対側で虐げられた人々がどんな生活を強いられているのか知らないことが酷い裏切りの様に思えて来る。どちらも無知と忘却には違い無いのに、「所詮我々は有限的な存在で、その与えられた世界の中で小ぢんまりと細々と生き延びて行くしか無いのだ」と云う何時もの言い訳が、憤激と悲嘆を呼び込まずにはいられなくなり、自分の無為徒食が罪悪にしか思えなくなる。
 そう云う時にせめてしておくべきことと云うならば、そうした発想が正しくなるコンテクスト、間違っているコンテクスト、そもそも無意味になるコンテクストをきちんと整理しておくことだ。理路に従って思考することからこそ、(我々凡人にとって)妥協点の見出せる適切な行動が導かれ得る。億劫がらずにこの手順を踏んでおくこと、そんな気分ではない時でも、せめて「何時かはやらねば」と気に懸けておくこと。


1056.
狂った様に泣き喚く幼児のその余りの正直さに少し憧れる。昔の人間が或る種の子供を聖なるものと崇めたのは正しかった。彼等は何と正確な予言者であったことか!
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