1028.
禅について書かれた本を読む。さっぱりピンと来ないので、途中から斜め読みに素ッ飛ばしてそれ切りうっちゃらかしておく。さてその後で、今の行為は果たして禅的であったかと振り返ってみる。少なくともその本を読んで何か解った様なしたり顔で頷くのが凡そ禅的でなかったことだけは確かだ。


1029.
私の言うことが矛盾だらけだと言うのか。矛盾を抱えない人間などと云うものは、賢人か白痴(か、或いはその両方)だけだ。


1030.
絶対的な指標を以てすれば、「この国に民主主義? ハ!」と鼻で笑うのには充分な根拠がある。だが現時点に於ける相対的な指標からすれば、そうして鼻で笑う輩こそ笑われるべきである。思い上がってはいけない、受難者とは、もっと恐るべきものに耐えている者に対して使う言葉だ。


1031.
絶えず認識をずらし続けていないと死んでしまう、私はそんな生き物だ。何十頁もある論文を書き始めた時と書き終えた時とでまだ同じことを考えていたとしたら、それは奇跡に近い。


1032.
売国奴:政治家の別称。地方によっては、官僚、軍人、企業家、マスメディア、富裕者層を指す場合もある。


1033.
「母国語」とはおかしな言葉だ。「国語」とはひとつの思想、ひとつの政治制度であって、何年も掛けて制度的教育を通じて獲得されるものだ。現に、私が幼い頃に話していた言葉は「日本語」に分類されはするものの、「日本語」と云う言い方によって十全に表現出来る様な言語ではなかった。それは「国語」と云うよりは「おくにことば」であって、詰まり「方言」であった。現在私が通常使用している(話し言葉としての)「日本語」は、私が自覚的な自己洗脳の結果修得した第一外国語であって、決して私がまだ物心も付かない内から慣れ親しんで来た言語ではない。我々は「国語」を話す様に「成る」のであって、放っておけばその内自然に話す様になるのではない。*「母国語」を、個人の生長に於ける時間的優先度と云う点から捉えるならば、「母国語」は「国語」では有り得ない。

*尤も、その意味では一生「国語」を話す様にならない人間も大勢居る。


1034.
ダイモーンの訪れて来ない日は、一日疲れの取れない不快な眠りを貪っているのと同じこと。凡そ以て範とすべき日ではないし、出来れば二度と来て欲しくはない日ではある。だが、疲れを持ち去って行ってくれない眠りは私をバカにしに来るのに余念が無いし、頭が空っぽになって食べて働いて寝るだけの日と云うのはそれこそ私と親友にでもなりたがっているかの様に馴れ馴れしく近付いて来る。
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