1007.
知恵の木の実を食べれば楽園からは追放されてしまうと云うのであれば、仮に楽園へ通じる扉を見付けることがあったとしても、人はそこでは幸福になれないだろう。楽園喪失とは、言うなれば楽園を失うことではなくして、楽園が楽園であることを失うことなのだ。


1008.
最近また形而下のことどもにばかりかまけてくよくよと思い悩んでいる自分に気が付き、恥じ入りたいと願う。だが、この茹で上がるような暑さの中で全てが腐りつつあると云うのに、一体何処へ向かってこのいじましい心を解放してやればいいと云うのか。


1009.
腐敗する以外の生が私を見捨ててしまって、今私は書くことしかやることが無い。しかし実のところ、それすらも危うい。やがては真ッ当な言葉が皆私を見捨てて去って行ってしまい、悍ましい存在者の密着感ばかりが私と共に取り残されることになるだろう。その時私は一体どうしたらいい? 唯あんぐりと口を開けて茹だる様な暑さの中だらだらと汗を流してひたすらその時間が一刻も早く私の脇を通り過ぎて行ってくれることをぼんやりと希うばかりなのだろうか? その屈辱は実に耐え難い。だがその口惜しさも、その内済し崩し的にどろどろに崩壊し去ってしまい、気が付くと痴呆の如き肉体が一箇、でろんとそこに横たわっていたと云う具合になるのだ。阿呆らしい、実に馬鹿馬鹿しい。だが今私はその敗北をだらだらと書き連ねて慰めにもならない記憶を同定して行くことしか出来ない………。


1010.
うっかり、ここに、存在し始めてしまった。幾ら悔んでも悔み切れない。


1011.
何であれ行動すると云うことの、何かひとつのことを()ると云うことの、この途方も無い狂気。自分が何に何をどの位のオッズで賭けているのかも知らずに闇雲に賭けを続けること。そしてそれに対して何等の引け目も躊躇いも感じること無く日々何かを行っている何十億もの決断者達。


1012.
電話のベルの音、扉をノックする音、群集の中から私の名前を呼ばわる声、私が孤独の自由を享受しようとしているといきなり断りも無しにずかずかと私の領域に入り込んで来て、私を人-間へと引き摺り下ろそうとする音の数々。他者によって一方的に同定され名付けられることへの恐怖、自分が何者かであらねばならぬと宣告されることから惹き起こされる責任回避欲求。


1013.
うつくしい詩を書いてみたいと思う。そうすれば、こんなみにくい私にも、こんな美しい魂が宿ることもあるのだと、人々が驚くかも知れない。愉快ではないか?………だがどうやら無理らしい。勝手にしやがれ。
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