0995.
大人に成るとはどう云うことか。それはつまり、時折ふっと姿を見せる世界のあの抗い難い散文的な無味乾燥さを巡って、これは自分がまだまだ無知であるから、きちんとした認識の形がまだ出来上がっていないから、物事をバランス良く見渡すだけの幅広い関連付けをまだ作り上げていないからではないかと疑う余地が残っていたのが、いや、それは誤解でも不見識でも何でもなく、正に癒し難い、事の真相なのだと悟ってしまうことである。そして君が上手いことその真実の中に安住してしまい、豚の様に満足することを覚えてしまったならば、君はもう立派な「社会人」だ。


0996.
「良薬は口に苦し」と言う。では若しこれが薬であったとするならば、健康とはつまり、無知、愚鈍、明き盲、低劣、俗悪、野卑を意味することになろう。連中は有難いことに、この私如きを一端 (いっぱし )の健康人に仕立ててくれようと躍起なのだ。


0997.
子供の頃、地獄絵図と云うものを目にする機会があった。古めかしいタッチで、裸や死衣を纏った亡者共が鬼達に舌を引っこ抜かれたり、鋸で全身を切り刻まれたり、針の山で串刺しにされたり、真ッ赤に焼けた金棒で肉を焦がされたり、煮えたぎる熱湯で釜茹でにされたりする、御存知の通りの例のアレだ。私は元々可成りの恐がりなのだが、己の肉体に対して異和感を感じ始めていたであろうその年頃の所為か、それとも絵柄との相性が悪かったのか、その直接的な肉体的残虐さを描いたその光景は、それ程私の心に恐怖心を呼び起こしたりはせず、私は割と平静にその絵を鑑賞した様に憶えている。そこに描かれている光景は確かに恐ろしかった。が、その時私の関心を惹いたのは寧ろそれが「恐ろしいものを描いた絵」として呈示されていると云うその事実だった。そこで恐ろしいものとされているのは徹頭徹尾肉体的な破壊であり拷問であり、仮令何れ程極端なものであるにしても、この世の延長線上にあるものでしかなかった。こうしたものがこれまで何百年もの間、民衆の彼世に対する想像力を、翻ってこの世に於ける身の処し方に関する徳目規定を律し、形作って来たのだ———と考えると、それまでとは別種の恐ろしさが、私の心に忍び寄って来た。こんなものが、こんなヴィジョンが、何世代にもの間人間の生を規定して来たのだ、と云う思いが、まだ生まれ掛けか或いは胚胎されている最中の私を慄然とさせた。それは実に暗澹たる認識だった。この直観が正しいとすれば、円満な生、充実した存在、余す所無き完全体としての宇宙からの離脱を地獄と呼ぶのであれば、地獄を目の当たりにするのにわざわざ死ぬ必要なぞ無い、地獄は目の前にあるのだ。


0998.
確かに我々は百世代前の人間達よりはましな住居に住み、ましな服を着て、ましな食い物を口にしている。が、奴隷であることの惨めさは、それによって何程も軽減される訳も無い。自分達の敵に聞こえない様にこっそりと悪態を吐くこと、それのみがようやっと我々が思考力を備えた人間であることを、貧相な仕方で弁明してくれているに過ぎない。


0999.
急に絶望的なまでの焦燥に駆られ、全てを失ってしまってもう手遅れだと大慌てで馬鹿らしい徒な大騒ぎをやらかしてしまうことさえ無ければ、数多の迷妄の海に漂っているのもそう悪いものではない。何せ、自然は我々を常時居眠りしておく様に拵えたのだから。
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