0989.
地平線の先まですっかり見えてしまっている道を行く。既に生きられてしまった生の残りを拾い集める。言っても言わなくても大して違いの無い言葉を書き連ねる。そんな私に凡そ希望と呼べるものが残されているとすれば、それは、何時か自分が十全な死を迎えることが出来るかも知れぬと云う保証の無い望み、この世界の中に在り続け乍ら、尚全一者として万物の終わりと一体化出来るかも知れぬと云う儚い望みだけだ。何時の日か完全に目覚め、正気に成り、宇宙がこの私でありこの私が宇宙であることが全く何の矛盾も葛藤も無く受け入れられる———その時にこそ私は満足の行く死を抱き締めることが出来るだろう………。


0990.
快適で十分な眠りが恩寵の相貌を帯びて来る生活、或いは、正に恩寵でしかない生活に呪いあれ! 地はその禍根を決して忘れないであろう。


0991.
ひとつの体系を拵え上げる。それで一切が説明出来る様な気がして、暫くはいい気になる。だがその内、あちこちにある綻びから、裂け目から、裏側から、抗議が、嘲笑が、軽蔑が沸き起こって来る。途端に私は慌て、狼狽し、取り繕う為に別の顔に切り替わる。だが誤魔化し切れぬ(しこ )りが醜い瘤となって私を責め立て続ける。そして私は再び自分の愚かしさを心底から呪う。飽きもせずその繰り返し。


0992.
保身か出世か、とにかくカネと権力のことしか頭に無い連中と話さねばならない機会があった———しかも腰を低くして! この世をそっくりドブの中に蹴り転がしてしまった様な気分だった。この感覚は穢れとなって、何日も私の中に巣食い続けた。こんなのがウジャウジャウヨウヨしている中に放り込まれれば、多少の善人だろうと成る程反吐が出そうな酷い有り様にもなろうかと納得した。博打打ちかどん百姓か、要するに連中は頭の無い只の肉体の寄せ集めなのだ。


0993.
いや、当てが外れたと云う訳ではないのだ。私は初めから幻滅していたし、或る種の愚劣さは時代が移ってもやはりしつこく居残り続け、改善とか改良とかの見込みが殆ど望めないであろうと云うこともきちんと認識していた。では年齢を重ねることによって何故こうも驚かされてしまったのかと云うと、それはつまり、世の中と云うものが、こんなにも下らない種類の愚劣さが斯くも溢れんばかりに満ち満ちているものであるとは、まさか予想もしていなかったからなのだ。


0994.
日常と云う下らない代物を維持する為に、今日もあくせく同じ様な労苦を繰り返す。畜生、こんなにわざわざ骨を折らなければならない程、「日常」とは大事なものなのか?………どうやらそうらしいのだ。「日常」と云う奴は、芸術家に向かって財布の紐をちらつかせる俗物の金持ちのパトロンの様な下衆野郎で、どうもそいつの絶えざる援助無くしては、如何に素晴らしいヴィジョンの持ち主であろうとも、その内腹を減らして根を上げてしまうらしいのだ。
 経営の安定した修道院で暮らしてみたいと思うのは、そうしたことの余りの阿呆らしさにすっかりこの「日常」とやらをやる気を失くしてしまった時である。
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