0983.
詰まらぬ俗輩共の持ち込んで来る瑣事と云うのはフケの様なもので、確かにそれらは私を傷付けることは出来はしないが、死ぬ程苛々させることは出来るのである。


0984.
あの癒し難い俗物に久し振りにまた会って少し話をする機会があった。相変わらず彼女は「常識」とか云う名の教義を後生大事に信仰していて、話している間中、私相手に熱心にその布教に努めた。だがはっきり言って、そんな卑しい感覚 (コモン・センス )を私が彼女や彼女の仲間達と共通 (コモン )に持ち合わせているなどと考えて貰っては迷惑である。


0985.
或る事柄Xに対してAかBかと云う判断が求められている時、XについてA又はBと云う判断が可能である、或いは、XについてA又はBと云う判断しか可能ではない、と云う風に、選択肢そのものが、そこで予め選択されていると云う事実を疎かにしてはならない。世界にはそもそも選択肢などと云うものは先在していない。或る事柄が成立すると言う時、そこでは常にひとつの決断が為されているのであり、勝手に色分けされた内と外との境界は永遠不変の原則と云う訳ではないのである。


0986.
我が心の友アウレリウス(「マルクス」と書くとあの怒りんぼの貧乏人カールと早とちりする者が出て来るかも知れないのでこう書く)の衷心からの言葉に今日も耳を傾ける。自分が酷く下衆野郎に思えて来る日と、このお上品な優等生のオボッチャン奴、と思う日との間で揺れ動く。だが結局、私は彼ではないのだし、彼は私ではないのだから、その違いそのものについて思い悩むのは止めよと自分に言い聞かせる。アウレリウスはアウレリウスの生を生きるしかないのであるし、黒森牧夫は黒森牧夫の生を生きるしかないのであるから、と。


0987.
余りにバカバカしくてもうやっていられないか、もうすっかりうんざりして終わりにしたくなったか。ならば、何が君をうんざりさせているのか、きちんと先ず特定しよく整理することだ。そして若しそれが下らぬことであれば、その下らぬことが一体君にどんな損失を与えたのか、よくよく考えてみることだ。下らぬことが本当に君を害することが出来るなどと考えるのは下らぬことだ。バカバカしいと思うのはいい。そう思うのは次のステップへ進む為の重要な動因となる。しかし、その対象の真の重要度を見誤ってしまうこと、これは恥ずべきことであり、避けなければならない。


0988.
一時の流行や時勢に乗り遅れまいとすることに全力を傾ける連中と云うのはどうも理解に苦しむ、気違いじみた連中だが、しかし人間と云う現象も結局はやがては失われ行く一時の流行り廃りのひとつに過ぎないのであれば、私に彼等を非難すべき如何なる理由があると云うのか。こうなってみると、歴史に永遠が介入して来ると云うあの酷いペテンを信じた連中の気持ちも、少しは理解出来る様になろうかと云うものである。
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