0969.
日常と云う名の悲劇、生活と云う名の苦役、呆れる程の無駄に驚く程の無意味、牢獄から抜け出したと思ったら直ぐにまた別の牢獄に繋がれ、やがてまた元の牢獄へとたらい回しにされるだけの毎日。途切れることの無い肉体による浸蝕に、失墜を続けてばかりの哀れっぽい精神、真面目に付き合うには余りに長過ぎる三文芝居に、来たと思ったら直ぐにまた去ってしまう新鮮で健常な世界の息吹き、退屈、諦め、倦怠、絶望、誇りも栄光も尊厳も信念も全て没落を運命付けられ、沈み込んで行く一方、一体感を覚えるには遠過ぎ、謙譲を構えるには近過ぎ、せめて美をとも思っても、出来た端からボロボロと崩れ去って行ってしまう。笑うしかなくなるまでに追い詰められるが、やがてはそれさえにも疲れ果て、棒切れの様に呆然と口を閉じる気力さえ無い儘に無言へと落ち込んで行く………。


0970
ふざけているのかって? とんでもない、真面目もマジメ、私は何時も自分でも嫌になる位大真面目だ。今こうして笑っているのは、そこまで追い詰められて、他にどう仕様も無いからだ。


0971.
ひとつの纏まった形を成した作品を作ることに憧れて、切れ切れに譫言を呟く。我に返り自省し恥じ入り、世界の暖かい闇の中に沈み込んで忌わしい記憶を忘れ去ろうと試みる。そしてそのことについてまた呟いてしまう。


0972.
悲劇と比べると喜劇は可成りコンテクスト依存的である。喜劇の笑いの普遍性は、悲劇の厳粛さのそれよりは低い。輸出入がより容易なのは悲劇の方である。円満で潤滑な生の綻びや欠落を描くと云う点では両者共同じなのだが、喜劇の場合、そこに現出している意味を理解する程には対象に近いが、近過ぎない距離を取る、と云うことが笑う為には必要になって来るからである。よく出来た喜劇とは従って偶々の僥倖の巡り合わせによる珍しい産物であって、しかもその笑いは、その劇を取り巻く環境の変化によって大いに影響を受け易い生物 (なまもの )なのである。保存の利く笑いなどと云うものは滅多に存在しない。人が無害で安全な笑いを楽しむ為には高いハードルをクリアしなければならないのである。


0973.
超越への契機を欠いた実存などと云うものは、単なる思い込みに過ぎない。世界内へと還元し切れない、それ自体を自己目的化するものとしての知の力動無くしては、仮令人の形はしていたにしても、そこらの石ころと大して変わりは無い。


0974.
只でさえ人間世界はみみっちくせせこましく窮屈なのに、それを更に狭苦しくしようとわざわざ骨を折る阿呆共が居る。そんな白痴じみた所業に対して一体もう何を言えば良いやら!


0975.
ずっと、この下らない、閉じた世界から逃れ出ることばかり考えて来た。
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