0941.
小さな不正を暴いてみせることによって、より大きな不正から目を逸らさせると云うのはよくある手だ。例えば、義憤によって一時的に倦怠を忘れさせるとか。しかしその誤魔化しがばれてしまった後でさえ、それはそれで結構楽しかったりするものだから始末に負えない。


0942
自虐の優越に浸っている者を見ると酷く侮辱された様な気がして横っ面を張り倒してやりたくなる。


0943
例のニーチェ研究者がお粗末な言い訳をたっぶり詰め込んだ偏狭なナショナリストであるのはそれ程驚く様なことではない。失敗した二流のニーチェ主義者*には元々ルサンチマンが大好きなマゾやサドが多いからだ。出来の悪い冗談を余りに真剣に受け止めてしまった為にどうしたらいいのか途方に暮れ、そこへ偶々差し出された手があるものだから一も二も無くそれにしがみついてもう必死になって離そうとはしなくなる。服従から逃れようとした挙げ句により下らない服従の中へと落ち込んでしまうのである。

*因みに生きている失敗した一流のニーチェ主義者は精神病院か、運が良ければ刑務所の中に居る。成功したニーチェ主義者の方は、ニーチェ主義者であることを止めてしまう。


0944.
私はよく実存、実存と云う言葉を連呼するが、誤解があるといけないので少しく解説を加えておくことにしよう。私が「実存」と言う殆どの場合に於て、その意味していることは「どう仕様も無く存在してしまっていること」であり、必然的に、対自化された眼差しを要請する性質のものである。私が先ず念頭に置いている読者、聴衆は実存者、つまり、既に現に実存してしまっている者達であり、実存主義者であるとか、況してや実存主義研究者などではない(尤も、彼等の言っていることが無益だ、と云う訳では勿論無い。彼等が手法として用いている現象学的アプローチは、殊に他者理解の為の手段として非常に有効である。しかし我々が宇宙と一体化して生きている訳ではない以上、ホピ族の通過儀礼に於けるリアリティーや分裂病患者の苦悩を少しばかり理解出来た気持ちになったからと云って、「それが一体私にとって何の役に立つと云うのか?」と云う問いこそが第一義的に意味を持つ唯一の問いであることに変わりは無い)。


0945.
仮令世界一周の旅をしようとして全く変化の見られない輩、いや寧ろ、愚にもつかない土産話を延々と垂れ流そうとしたり救い様の無い悪習をまたひとつ拾って来たりしない分、家から一歩も出ないでいた方がまだしもなんぼかマシだったと思わずにはいられない連中、そしてそれ以前に物語ることさえもしない盲従するだけのどん百姓共………。
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