0901.
思春期の少年少女が何かあると———いや何も無くても直ぐに、気の触れた様に笑い出すのは理解出来ることである。彼等は常に多数の世界に曝されることによって形を成すことの恐怖に怯えており、笑いででも誤魔化さない限りは、その重圧に耐え得るものではないからだ。笑いの痙攣とは謂わば地震の様なものであって、複数のものがぶつかって撓み、歪み、互いに道を譲ることも出来ずに溜め込んでしまった余計なエネルギーを、一寸した揺さぶりによって一気に解放するのである。凡そ認知的不協和一般を解消する為に狂気以外で採られる最も汎用性の高い最終手段であって、「万事無効」を宣言する、何の後ろ盾も保証書も必要としない不遜な自己満足である。何の支えも支援も無い彼等が好んでそうした手段を常用するのは自然なことであって、人類が成人してしまう前に全員発狂してしまわないのは大いにそのお陰と言っても良い。
 尤も、彼等とて(いず )れはその凝集されたエネルギーを分散させ無力化させる為の方途を色々と覚え込んでいってしまう。懐疑と云う凡そ不幸にしかならぬ習慣を身に付けなかった者、即ち彼等の内の圧倒的大多数と云うことだが、その者達は不協和の上に抜け道を作るとか回り道を作るとか上手いことやって決まり切った拵え事を後生大事に抱え込む様になり、やがては硬直した思考が死んだ大地を形成してゆくのをぼけっと眺めているだけの存在と成り果てる。世の幸福とは大体にしてこの手順に沿って実施されるのであって、それらを為す者達の笑いもまた、それにつれて毒にも薬にもならないお座なりな礼儀程度の微震になってゆく。大衆と云う生き物が、「人を殺す程の笑い」を決して経験することが無いのはその為である。無知と鈍感は、彼等にとっては(まさ )しく自然の恩寵なのである。


0902.
生まれることの仕組みと死ぬことの仕組みは実はひとつに抱き合わせになっていて、「生の最中にて我らは死せり」と云うのは、実の所毎日極く当たり前に行われている事態に過ぎないのだと云う。当たり前だ、こんなことを勝手におっ始められて何時までも続けられたりしたらたまったもんじゃない。あの厚かましいまでにしぶとい「黒い悪魔」共でさえ、何時かは死ぬことを定められているのだ。とにかく自然が自死を装備しておくだけの謙虚さを持ち合わせていたのは幸運なことである。形と云うものは須く見苦しくなく終焉を迎えるべきなのだ。


0903
それまでは時間経過による当たり前の強張りはあったものの、順調に山登りを続けていたのに、遅れを取った者に合わせて歩く速度を落とした途端、急に激しい疲労が私の脚を襲って来た。若し誠実な教師なんぞにならなければならない羽目に陥ったとしたら、そう間を置かずに私は悶死してしまうに違い無い。


0904.
「これを私は失ったのかも知れない」と私に思わせる程十分に演出された風景は、私を動揺させずにはおかない。仮令それが一片の迷夢であるとしても、それが迷夢としてそこに存在していることに変わりは無いのだ。


0905.
nil admirari の境地にはまだ程遠い。………良くも悪くも、この世界は日々驚きに満ち溢れている。
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