0881.
私の家族、少なくとも女性陣は全員、私が肥えた豚にではなく空き腹を抱えたソークラテースになってしまったことがお気に召さないらしい。だが、こればかりは諦めて貰うより仕方が無い。肥ったソークラテースになれる道が若しあるものなら喜び勇んでそこを行くのだが。


0882.
若し否定する愉しみを全て奪われてしまったら、私はもう何を支えに生きていったら良いのか分からない。


0883.
日に何度も「くたばれ!」と言いたくなるのを呑み込む。その呑み込んで腹に溜まった「くたばれ!」が、もう胸焼けを起こしそうな位パンパンに詰まっていて、プスッと針で刺してやればパアンと破裂してしまうのではないかと思われる程だ。この「くたばれ!」は余りに正直な為に、時も所も、相手も———自分自身も含めて———全く選ぼうとしないので始末が悪い。


0884.
誤解されるのには慣れている。だが困るのは、殆どの場合、どう誤解されているのかがさっぱり解らないことだ。他人は時として異星人に等しい。


0885.
幸福に成ると云うことは一種の才能に因るものであって、我々の頭脳の発達と、それに伴う生の強度とはあまり関係が無い。であるからして、若し我々の生を、幸か不幸かかと云うことを基準尺度として測ったとしたら、実に悍ましい結果が出ることになる。また仮にそうした場合でも、せめて幸福にも貴賎があると云うこと位は認めてやらないと、本当に救い難いことになる。


0886.
アリストテレスが若し現代に生きていて、また知的誠実さを失っていないとすれば、「幸福」と云う語について可能な拡大解釈の領域の余りの広さに目を回してしまうに違い無い。このことは、アリストテレスが人生の目的について下した定義が事実的命題ではなく当為的命題であると考えてみると理解が容易になる。


0887.
ほっけの定食を注文する。ばりばりと骨まで食べて、一日の疲れを癒す。曾てこの一尾の魚の屍体程にも役に立った人間の屍体が、唯の一個でもあっただろうか? 負け惜しみの強がりでうっかり口走ってしまった冗談を、引っ込みがつかなくてずるずると続けてしまう———墓とは、要するに、そんな行為だ。
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