0867.
一体何が悲しくて生身の人間なんぞに救済を求めねばならないのか。神の粗野な代用品もここまで落ちぶれると、嘲笑や軽蔑の対象と云うよりもいっそ同情の対象になる。


0868.
オペラや歌曲の歌詞が往々にして聞き取れなくなってしまうのは、恐らく、音楽で言葉を伝えるなどと云う破廉恥な愚行を仕出かしてしまうことに対して、作曲者や歌い手達が本能的に羞恥心を募らせてしまうからなのだろう。しかしそれにしても、歌詞を解して聴いているあの聴衆達の、あの狂徒達めいた目のギラつきとニヤニヤ笑いときたら!


0869.
音楽に追い付こうとして言葉を書き連ねてみる。結果は最初から明らかだ。無惨な失敗。そこでやはり音楽は音楽以外のものではあり得ないと心得て、今度は音楽を書いてみる。だが不思議や不思議、心の中で鳴り響いていた内はあれ程生き生きと躍動し、深みとエネルギーを備えていた曲が、五線譜に書き写してゆく過程で、何時の間にか何処も彼処も言葉に侵蝕されてしまっている。世の作曲諸氏がこの恐るべき翻訳過程をどう乗り切っているのか、見当も付かない。この悪夢の様な体験を、どうやって表現すれば良いのだろう。


0870.
厳粛な思考と気儘な感性とに自由に戯れる時間を与えてやろうと思ってベッドに入る。と、そこへ肉体があっかんべえをしてくるので、思わずカッとなる。だが怒ったところで所詮どう仕様も無いことを散々思い知っているので、そこをグッと堪える。そして何とか意識を逸らし、口を固く結んだ儘きっぱりと遣り過ごし、酷いぺてんだと云う自覚と共に、それでもうとうとし始めるまでの時間を心穏やかに過ごそうと努力する。さてこうして三時間半の短い夜を迎えた翌朝、一体何を私に語れと云うのだろうか? 若し世界そのものへと繋がる導火線があったとしたら、私はもう投げ遺りな仕種でふらふらとライターを探していたことだろう。


0871.
偶々性別が男性や女性である様な友人ならば歓迎しよう。だが一体何故この私が、「男」だとか「女」だとか云う訳の分からない代物と付き合わねばいけないと云うのか。


0872.
未知のものを知る驚きの欠点は、それが一瞬だけしか存在し得ないことだ。「過去には未知であったもの」は二度と再び不可視の領域から姿を現して来ることは無い。思い出と教訓、後に残るのはそれだけで、世界が今開かれてゆく、と云うあの感覚は、一度失われてしまえば永久に元に戻って来てくれることは無い。


0873.
共犯者でない者とは友人には成れない。そう成れない者とは、()の道永久に理解し合うことは不可能だ。そう成れたかも知れない者はと云えば、今ではもう死んだか行方が知れなくなった者しか居ない。
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