0841.
人の創造的なエネルギーを掻き立てるのは抑圧である、隠蔽や検閲が人の想像力に火を点け、不足や欠乏が人を行動へと駆り立てる。『千一夜物語』のあの華麗なる陶酔に満ちた詩の数々が生まれたのが、女性が全身すっぽりと黒ずくめで生活している世界でのことだったことを思い出してみるがいい。若しミロのヴィーナス像に両腕が揃っていたらどんな印象を受けるか、思い描いてみるがいい。たらふく飲み食いさせられた後でわざわざ革命騒ぎに参加しようとする農民がいるかどうか、考えてみるがいい。仮想され得るものに対する、現前しているものの余りの不完全さが、その存在を十全なものに作り変えようと云う欲望を生み、そしてその現前しているものの切り詰められ、凝集された美と力のエッセンスが、以前には考えられなかった爆発を生じさせるのである。
 丸太や大理石の塊が只そこにごろんと転がっている所に、未だその実現を見せてはいない形を見い出すことが出来るのは一部の天才のみであるが、少しだけ彫りかけられ放置された未完成の像、破壊され紛失し欠片のみが残った像、歳月によって腐蝕し、ぼろぼろになった像、人の手や舌に生気を吹き込むのは、そうした見捨てられた未熟児達、手足を拘束された囚人達なのである。


0842.
後悔の愉悦を味わう為に、わざわざ必要の無かった失敗をする。そして狙い通りに激しく後悔し、二度とこんなことにはならないようにしようと固く心に誓う。そしてまたその後悔の余韻も抜け切らぬ内に同じことをやらかす。
 思い出してみ見給え、好い思い出と悪い思い出と、どちらが直ぐ頭に浮かんで来るものか。我々の過ぎ去った人生を劇化してくれるのは、現在を喜悦で満たしてくれるものよりも寧ろ往々にして、自分に責任がある酷いへまでありしくじりであり、挫折であり転落である。その不完全さに対する無念や失望が、我々の人生はもっとましなものであったかも知れないと云う幻想で以て我々の自尊心を慰め、生を何とか耐えられるものにしてくれるのである。


0843.
カント以後のドイツの観念論者達の著作と付き合うには、私はもっと胆汁質のねちっこい偏執的な性格でなければならないか、或いはもっと遊び心を持たなければならない。自我を巡る思い付きは、ヘーラクレイトースの様に断片の形で書き残すのはいいが、彼等の様に、小難しい用語を次々と発明し、分厚い著作を何冊もものし、それで世界を説明し尽くしたと思い込んでノウノウとしているのは、どうにも品に欠ける。あそこまで勘違いを突き詰めてしまうだけの偏執的なまでに無駄な精力は、私には無い。
 因みに、彼等の現代に於ける研究者達が略例外無く、断片的な道具立てとして彼等の著作を引用するか、さもなくば塗り絵でもしているかの様に漫然とデモーニッシュな情熱を欠いた儘、彼等の足跡をなぞっているだけなのは興味深いことである。何人もの人の手を経る内に、思想とはどうやら言葉の上で売り買いされる代物になってしまったらしい。己が力のみで世界に食い込んでやろうと云う無謀な心意気と思い上がったUnsinn、それがその研究者他達には欠けているか、不足している。
 で、私はと言えば、私が私に対して認める私の正当かどうか知ったことではない権利によって、私は「このファシスト野郎奴!」と彼等に怒鳴り付けるのである。


0844.
誰であろうと、自らの愚かしさに固執する権利を持つ。そして誰であろうと、その愚かしさを乗り越える義務を負う。権利が無ければ、では今直ぐ銃でこの頭を撃ち抜くより仕方あるまいと云う仕儀になるし、義務が無ければ、やはりこれもまた銃でこの頭を撃ち抜くより仕方あるまいと云う仕儀になる。
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