0813.
結局また、この惨めさを私の為に代弁してくれるものは何処にも有りはしないと知って、様々な拘束を受けた儘、何も出来ずに浅く短い眠りに就く。この矮小で、卑近で、暑い日の雨上がりに肌にぺったりと貼り付く合羽の様に気持ちの悪い狭隘な生活が、私の頭をぼやけさせて行く。時にはより広い光景への通路となってくれる負の局面も、今は只単に負でしかなく、私の生をより狭く、詰らない、ちっぽけで近視眼的なものにしようとしかしはしない。私は倦み、疲れ果て、ぐったりと力無く項垂れて佇み乍ら、何を為す気概も、流される儘に何かを凝っと待つ気力すら持たずに、一本の木偶の坊として、このうらぶれた目覚めの時刻を眠り乍ら過ごして行く。この時宇宙は宇宙などと言えるものではなく、万象は私を見放している。何の助けも無くぽつんとこの何も無い孤島に取り残されて、私は途方に暮れ、只ぼんやりとしている。眠り以外は何も欲せず、休息以外のことは何も考えられず、私は泣くことも嘆くことも、況してや怒りの拳を挙げることすら出来ずに、阿呆の様に立ち尽くしている。今こうして車で肉体を走らせている間にも、「単に何もしない、起こらない」と云う意味での無為の時間が徐々に私の躯*を蝕んで行き、疲労が怠惰を誘い込み、何もかもが億劫になって来る。質の低い倦怠の大軍が、低気圧の雲の天井の様に私の上に覆い被さり、じわりじわりとその距離を縮めて行く。身を引き裂く様な激しい郷愁も、一切を凍り付かせる深淵を覗く恐怖も、未来への勇壮なる展望も、全身がバラバラになりそうな哄笑も、背中からくしゃくしゃに縮まってしまいそうな後悔と恥辱も、世界へと開かれて行く法悦も、臨在のみで満ち足りて行く幸福も、拡大と成長への飽く無き飢渇も、忘却に沈黙を要求する瞑黙も、爆発の出口を求めて彷徨う忿怒も、何処迄も素顔として貼り付いた仮面の冷笑も、それらのもう何もかも、全てが私を見捨ててしまった。力の大いなる目覚めを予感させるものは何も無く、これを何かの予兆と思い込む為のハードルは余りにも高く、不様な凪が只のっぺりと薄く浅く広がっているだけ。しみったれた薄明が、ねじり飴の様に呆気無く寸断された私の時間の地平を閉じ込めようと、風景の一切へ中和剤を注入して来る。私は浜辺に打ち上げられた死にかけの魚の様にその内すっかり干上がってしまうまで只ごろんと転がって、空ろな目を宙に彷徨わせている。萎縮し果ててしまうのは今か、今か、それとも永久か。だが、そのどちらもがもうどうでもいい。

*原文では「身區」。


0814.
空きっ腹を抱えていては、どんなに高尚な理念も、どんなに複雑な精神も、一切の思考がその活動を停止してしまう。実に、今の私が正にそうなのであるが、こうしてペンを執っているところを見ると、どうやら飢えにまでは至っていないらしい。精神が活発に活動を続けている最中、思考に加速が付いて慣性質量が充分に大きくなっている場合には、或る程度の空腹は我慢出来る。だが、一旦その空腹を意識してしまったが最後、私は一個の胃袋と成り果てる。まだ元気のある内は、自分が肉体であることを憎む気持ちも湧いて来るが、本当に腹が減って来るとそれすら出来なくなる。今ここに一冊の本と一杯の丼があったとして、どちらを取るかは、全く確言出来ない。やれ、それこそ「あゝ無情」と云うものだ。腹が減れば人間、浅ましくもなる。この絶対とも言うべき事実の余りの下らなさに対して、私は手も足も出ない。


0815.
「もう沢山だ!」と声に出して言うこと。それも適切な場合に言うこと。その戒めを守れない時でも、心に留めておくことだけはすること。
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