0767.
時々、命よりも、と云う訳ではないがそこそこに大事なものや必要なものを半ば故意に失くしてしまうことがある。口では失くすまい、失くさないだろうと言ってはみるものの、失くし易い、或いは必ず失くすと判っている状況に自らの行動を追い込んでしまうのだ。この衝動は全く不合理なもので、凡そ筋の通った言い訳なぞ作れそうにはない。これは普段から喪失を適宜に経験しておかないから、その埋め合わせと云う訳なのだろうか、自分の手の届く領域とそうではない領域を確かめておきたいと云う無意識的な欲求が出て来るのだろうか。つまり毎度毎度危なっかしい綱渡りを演じてみせて、上手くいけばお慰み、上手くいかなかったら、まぁ………と云う訳だ。それとも、ポオの言う「天邪鬼」が本当に喪失すること自体を望ませているのだろうか。………何れにせよ、その後にやって来る嫌な感じの疲労感、浅い眠り、食欲の減退、無気力———それらが実に鬱陶しいものであると云う事実は同じだ。仮令それがより全体的に見て精神や肉体の健全さにとって有益であろうとなかろうと、うんざりだ。


0768.
個々の具体物をその対象とする救済———恋愛でも、趣味の盆栽でも何でもいいが———が完全なものと成る為には、少なくともその対象の側が既に失われてしまっているか、或いは相手方から直接的に何等かの言葉によって語り掛けが出来ない状態にあることが必要だ。情熱も、理想も、思慕も、充足も、平穏も、所詮はもっと大きな舞台に呑み込まれる時がやって来る。その時それらは舞台そのものではなく、主要登場人物の一人、悪ければ端役かエキストラの一人に過ぎなくなる。足元を掬われる可能性が常にあるものを相手にしていたのでは、完璧な一対一照応関係は望むべくもない、予め仮想化されているものを相手とするか、一生勘違いを続け、際限の無い認知的不協和のズレをひとつひとつ延々と埋めて行くか、さもなくば他の一切の事象を見て見ぬ振りをするだけの肝っ玉の太さと愚鈍さを身に付けるか………それがなくては、凡そ知性ある精神として、この実に下らない稚拙な欺瞞に耐え続けて行くことは出来まい。
 ———その認識が私を憂鬱にさせる。それが単に或る時ひょいと思い知らされて落ち込む、と云うのではなくして、比較的冷静な時に分析的な判断をして齎されたものであると云う事実が、そのどう仕様も無い空しさを恒常的なものにする。この世界からもう一気に身を退きたいと思う。が、気付いてみるとまたその真直中に巻き込まれている自分を発見することになる。切りが無い。私が溜息を吐こうが絶望して頭を抱えようが、喪失感に涙しようが、裏切りはお構い無しに確実に起こる。だがそこから離れられない。


0769.
一箇の不完全な肉体が、一箇の予め失われた肉体と今日もデートをする。発狂しない為のせめてもの日々のルーチンワーク。


0770.
何もかもバラバラだ。ひとつの雰囲気を作り上げること、それすらにも失敗している私。現実は過剰だ。私の手には余る………。
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