0756.
その場の流れに流されることを潔しとしない力、状況に抗う力をわざと封じ込めて、愚行をしてみたくなる時と云うものがある。それも、「分かっちゃいるけど止められない」タイプの様に当該の行為に対して強い欲望や習慣付けが存在している訳でもなく、その行為が目的とすることよりも単に行為を行うことそれ自体が目的化する時が。その行為をしている最中も、終わってみてからも、酷く虚しい感じがするだろう。その虚しさを忘れないことだ。自分の中にそうした空白があることから目を背けないことだ。


0757.
買い物:自分が盗人ではなく、従順な消費者であることを大声で触れて回る行為。


0758.
アメリカ風のプラクティカル・ジョークと云うやつが私は大嫌いなのだが(人生は冗談ではないのだからして)、少なくとも言論のレベルで交わされるジョークに関して、寛容の精神を持ち合わせていない者、或いは持とうとしない者のことはもっと嫌いだ。仮令それがどんなに下手な冗談であったとしても、どんなに神聖重大なものを笑いのネタにしていようと、それが笑いを目的としている限り、それらは私と同胞の手になるものである。この世界そのものを笑い飛ばすだけの意気地が無くて、一体何の為の知性だと云うのか。


0759.
派生形態とそうでないもの、両者の区別、或いは繋がりをはっきりさせておくことだ。順当な手段としては先ず時間系列を整理しておくべし。然る後に、それを適切な階層乃至全体論的階層 (ホラーキー )の中に位置付けるべし。事実と当為が異なることも無論瞼の裏側に書き記しておくべし。


0760.
ヒトの様に振舞うサルよりも、サルの様に振舞うヒトの方を、人はより一層嫌悪の念を持って眺める。おかしなことだ! 無自覚であることが犯した愚行の数々に対する免罪になるとでも思っているのだろうか? 正にその自覚の無さこそが責められるべき第一のものであるのに。


0761.
昔のことをふと思い出して、悲しい。別れたことがではない、あれが本当は別れなどではなかった、別れとは呼べない代物であったことが悲しい。既にそれ程昔から、私がそうした「別れ」が一時期を画する為の挿話としては大して意味を持たない人生を送っていたことが悲しい。何も持たず、誰とも会わず、世界は予めそこには無かったのだ。それらについて自分が何ひとつ心から悲しめないのが悲しい。
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