0682.
取り敢えず主観によって世界を塗り替えてみろ、徹底的に。ここが肝腎だ。現前しているあらゆるものを、今、ここに在る現在へと引き付けて考えろ。存在「する」「しない」等と云う言い方をするな。存在しないものは、存在しないのだから、放っておいて構わない。とにかくも先ずは存在しているもの全てを、そのあらゆる存在形式に於てひとつに収斂させるのだ。その上で初めて、「外部の」世界について語ってみるが良い、途中経過を一切省いて、逃してはいけない所を素っ飛ばしてしまうから、いちいちややこしいことになるのだ。多少なりとも建設的な議論をしたいのであれば、先にそこへ到達していなければならない。


0683.
一度くたくたになるまで分解してみたことの無い人間とは、何を話しても、恐らくあの秘めやかな共犯関係をお互い目と目で確認し合うことは出来ないだろう。


0684.
世界は私の一部であるとか、私は世界の一部であるとか言う………間違っている訳ではないが、不完全だ。まだやり残したことがあると云うこと、それを片時も忘れずしっかり心得てさえいれば、まぁ大抵のことは何とかなる。


0685.
知性や分別の欠如を無垢や無邪気と取り違えるのは、映画や漫画の中でなら象徴として赦されるだろうが、この生身の世界に於ては、それらは飽く迄単なる欠如に留まり続ける。無反省を純粋と取り違えるのは、醜怪なナルシストもどき達がよく陥る過ちである。連中に向上改善の可能性があるなどと夢想してはいけない、万に一つも連中に期待すべきではない、連中は議論や討論には適さない。連中の言説にその結論や断定に先立つものを一片でも含まれるなどと考えるのは愚かなことである。


0686.
全体に対し常に気を遣い過ぎて、部分について何も言うことが出来ない———そんな悪弊に、物心ついてからずっと悩まされ続けている。


0687.
少しでも和解出来ると思った私がバカだった———私とも、世界とも。


0688.
相手が子供の場合であれば、百個の貝を与えるよりも貝の獲り方を教えた方が長い目で見ていいに決まっている。だが相手が大人の場合は、幾ら教えてもどうにもならない時と云うのがある訳で………。
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