0676.
爪先から頭の天辺までずっぽりと蛸壷の中に嵌ってさも忙しそうに蠢き回っている鼻だけは鋭いが視力はさっぱりなごろつきの犬共がキャンキャン吠え立てているのを見ていると、ついこう言いたくなる。お前等がバカなことをしたいのならそれは勝手だ、だが頼むから私の見えない所でやってくれ、と。だが私とて食わねば生きてゆけぬ世知辛い身の上、そんなことはオクビにも出さず連中の敵ではなく仲間である様な振りをし続ける。若し私に血眼になって保身に走らずとも一生楽に暮らしてゆけるだけの安定した収入か資産がきちんと保証されていれば、事態は全く異なる様相を呈し始めることだろうが、少なくとも今はそうではない。


0677.
確かに私はフランス語でものを書く様な連中の様に気の利いた言い回しを操れないし、かと云ってアメリカ人の様にいけ図々しい無邪気さを持ち合わせている訳でもない。だから私はせめて正直であろうとする。そこに含まれる気取りやごまかしや混乱を含めて、その結果が私のスタイルと呼ばれるものを構成する。だがしかし、私がそれらについてやはり引け目を感じることが間々あるのを否定することは出来ない。何に、或いは誰に対してか。恐らくは未だ書かれざる私の文章に対してだ。


0678.
薬、薬、薬、あの薬やらこの薬やらばかりだ。処方箋が一枚も書けない。


0679.
私の貧相な安物の本棚に場所を占めているどんな本も、この全く何も手に着かない倦怠の空白を埋めることが出来ない。「では私は一体何の為に———」と云うタイプの問いが、この時は実に説得力を伴って襲って来る。解法は(はな )からそこに有る訳ではないと云うのに。


0680.
ぐしょ濡れの雑巾の様な気持ちで目が覚める朝がある。認識論的な悪夢に悩まされている方がまだマシだと思わせる朝が。本当に何もしたくない、食べたいとか、眠りたいとかさえ思えない。思考は私の手の中からころころと何処かへ転がって行って見えなくなってしまい、見付け出すには後百年は掛かるだろう。何もかもが空転し、何処へも動かず、何処へも行き着かない。絶望や皮肉さえ開店休業状態、悲劇にも喜劇にもならず、役者も演出家も皆先の見えないストライキ中。確かに私はそこに存在しているのかも知れないが、それだけ。唯それだけ。それ以上でもそれ以下でもない。大衆ですらない。私はぐったりと疲れて重い何か得体の知れないものとして、ぼけっと薄馬鹿みたいにそこに突っ立った儘、何かが起きるのを凝っと待つ、待つ、待つ………。


0681.
優れた科学者、或いは科学解説者と云うものは、時として宗教家によく似て来ることがある。但し皆一様な訳ではなくて、欧州では彼等は神学者となるが、イギリスではオカルティストとなり、アメリカでは原理主義者になってしまう。
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