0671.
「あいつらは一体何を仕出かすやら分からない」———これは危険な発想だと云うことは理解している積もりだ。———少なくとも、平時に冷静にじっくり考えてみる余裕のある時には。だが実際、連中は我々の最悪の予想さえ易々と乗り越えて更に酷いことどもをいとも平気でやってのける———あのボス猿を気取った、丸々と肥え太った寄生虫共は。


0672.
私の身体機能はもう今更どう仕様もない程貧相なものだが、あのクズ虫共と毎日同じ大気を呼吸してこれまで何とか生きて来られたのであるから、少なくとも心肺機能に関しては、尋常ならざるタフさを備えていると言ってもいいだろう。


0673.
母の口から、私を産む前に二人流産したと云う話を聞いた時には、それはショックだったものだ。その時の生々しい様子も然ること乍ら、それを語る時の母の余りにも淡々とした散文的な調子が、私には何より堪えた。あの女にとっては、二つの発芽前の生命の種子が失われてしまったことなど、人生の単なる一頁、既に通り過ぎてしまって今となっては然したる意味を持たない通過点のひとつにしか過ぎない、と云うことが解ってしまったからだ。時は全てを癒すと言うが、そもそも癒されるべき何ものも存在してはいなかったと云う事実は、私をこの上も無く憂鬱にさせる。その前では良くても口籠らざるを得ない過去が無いと云うこと、それは不具の如き欠落として現れ、我々の生を劇化するあらゆる努力を嘲笑いでもするかの様に気懈い無力感を掻き立てずにはおかない。


0674.
公民としての人間性や徳に対する評価が至極当然のこととして金稼ぎに附随させられる様な社会に私は生まれて来た(多分私は家系から言っても根っからの公務員体質なのだろう、「稼ぎをもっと上げる為に努力する」と云う行為を自らの人生の中心に据えると云うことなど、私にはどうしてもまともな人間のやることとは思えない)。適応出来そうもないこんな社会にどうして生まれて来てしまったものやら。だが生まれて来てしまったものは仕様が無い、この上は、一刻も早く連中がこの地球上から消え去り、もっとまともな新しい世代が育って来るのを願うのみである。だがしかし、已んぬる哉! ゴキブリが人類よりも後にまで生き残るであろうことと同じ様な理由で、連中が絶滅するのは私よりもずっと後のことになるのだろう。


0675.
知的感性の微細な襞を味わう歓びが何処までもおまけの様なものとしてしか取り上げられない世の中に私は生きている。目にする人、人、人の殆どが、人生の本義を何か奇妙に転倒した形でしか理解していない様に思える。だが、そこでふと思う。私と連中との間に一体()れだけの差があると云うのか、私とて下らぬことにうつつを抜かす時だってあるし、人はどうせ質の違いはあれど結局は何ものかに突き動かされて如何 (どう )にもならぬ存在方式を選択せざるを得ないのだ、ならば各人各様の仕方で愉しみを覚えて何が悪い、老子だって言っているではないか、「唯之与阿、相去幾何。美之与悪、相去何若」*と。だがしかし、とそこでまたふと考える、やはり私は私と連中との間に深い深い溝が横たわっているのを意識せざるを得ない。自覚的に為される行為にも二重の存在様式を持ち合わせていない連中が、自分と同じ種族の生き物であるとは如何 (どう )しても思えないのだ。連中が持ち合わせているものときたら、精々が二枚舌で、他人を嘲笑うことは出来ても自分を嘲笑うことなど出来はしない。そんな連中と私との間に、一体()んな共通点があると云うのだろうか。

*大意:「はい」と言うのと「ええ」と言うのにどれ程の違いがあると云うのだろうか。美と醜とにどれ程の違いがあると云うのだろうか。
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