0619.
「科学を礼讃するSF、乃至科学ロマンス」と云うものが既に瞞着的な側面を持っている仕掛けである以上、それを読む方も書く方も、精々面の皮をうんと厚くして臨まねばならない。科学と云う営為は単なる「カルト」に堕してしまう危険を常に抱えている。世界の真実相に辿り着きたいと云う欲求が、科学と云う営為を行う集団への帰属意識に凌駕されることは容易に起こることである。科学と云うのは大原則として万人に開かれたものであるべきである。が、それは飽く迄原則であって、それに近付いていない現実の方ではもっと鈍臭いドタバタが始終起こっているのだ。


0620.
1人称な視点に準じた記述が適した状況と適さない状況と云うものがある。1人称が過剰になり何処も彼処も私ばかりになってしまうと、却って3人称の方が適切な記述となってくる場合もあるのだ。


0621.
ニーチェが古典文献学者からそのキャリアを始めたと云うことは驚くには当たらない。目眩がする程大量の註釈や註解に四六時中囲まれて生きていれば、その内「やい、俺にも何か一言自分の言葉で何か喋らせろ」と言い出す者が現れても不思議ではない。過去に寄り掛かって生計の一切を立てている学者連中がどうやったら一生発狂もせずに済むものかは、今以て全く謎の儘である。


0622.
観光名所:或る特定の人物や歴史、風景等を派手はでしい物産品として切り売りする店。時間と空間の出張販売サービスを行うが、但し出張するのは客の方である。


0623.
未だ完結していない俗事に於けるつまらぬ失敗が、鍋の底にこびり着いた焦げ目の様に、私の心に蟠って離れない。またミスを指摘され注意され、自分に対する評価がまた下がってしまうことへの恐怖が、「時間を戻したい」と思う様な類いの後悔から来る、既に選択の為されてしまった取り返しのつかない未来に対する焦燥が、もっと深い、より深刻な恐怖への呼び水となって、重苦しい瞑想的な空気を導引してくる。恐らくそれは多分に、「自分が恐れているものがこんな卑俗なものであっていい筈が無い」と云う虚栄心の働きによるものである。明確な対象を持たない厳粛な感情が、暫く表には出て来なかった認識を単体で呼び起こしてくる。息苦しい感じを与えるのは常に極くつまらなぬ卑近なものでもある。そしてそれを至高の恐怖を与えるものと区別することは屡々非常に難しい(これは容易には認め難い事実ではあるが、先へ進みたいのであれば受け容れなければならない………)。それら両者が混然となり夾雑物を山程詰め込んだ混沌とした感情が、私を深く浅く、不安定な揺れの中へと連れ出してゆく。


0624.
今や彼もが愛を訴える時代となってしまった。であるから誰か一人位、人間なんて皆くたばっちまえ、世界なんぞ滅びてしまえばいいと、怨恨と呪詛と憎悪を喚き散らすものがいなければバランスが取れないと云うものである。
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