0565.
寒空の下の一匹の蠅の様に目覚めを迎える。泥の中の蟻の様に日中を過ごす。眠りに就く時分には、大変な恐怖に怯える蚯蚓と云う奇妙な代物に成り果てている。


0566.
私の様な者でも、時には、安手の陳腐な既成の幻想に心底心惹かれてしまうことがある。そんな時には決まって、禁酒の誓いをまた破ってしまったアル中の様な羞恥心と罪悪感とが付いて回る。桜の樹の下で酒を酌み交わせる村人達が羨ましいと思うことも屡々だ。


0567.
whyやfor whatを問うことなく、howのみにしか興味も関心も無いと云う下衆な男———そんな人間に私はまた成り下がってしまった。それは、私が下衆野郎になったと云うことを思い知らせるのではない、私は元々そんな人間であり、本来の私がそんなものであると云う事実を思い出させる。重層化された時間の過去と云う地層から、再び忌わしい悪夢が頭を擡げて来る。 私のこのとにかくどう仕様も無く厭わしいと云う気持ちに、またひとつ尤もな理由が付け加えられた訳だ。
 他の人間の眼差しが介入して来ると、私はどんどん堕落してゆく。自分以外の自我がウヨウヨ棲んでいる様な世界と、私は正面から向き合うことが出来ない。個人の居る世界には、私は住めない。親の前では子、女の前では男に自動的に成り下がってしまうのと同じ様に、私をまたあのちっぽけな檻の中に戻そうとする力に対して、私は徹底して抗わずにはおれないと云う気分に満ちている。


0568.
 日々、忘れ去ったものの量の膨大さが増大してゆく。
 日々、知らないことの地平の広大さが増加してゆく。


0569.
 この狂いに狂った世界の直中で出来る限り正気であろうとすること。
 だが、そればかりに専心したりせぬこと。
 魂の豊穣さと精神の脆さを自覚し、心の隅に書き留めておくこと。


0570.
 沈黙の中で襲い来る恐怖を恐れぬこと。
 目の前に広がる底の無い深淵に身を投じても慌てぬこと。
 破滅は厳粛に受け止め、徒らに騒がぬこと。
 宇宙は君の怖れを呑み込んでまだ余りあること。
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