0558.
世界史上何処を探してみても、PAX AMERICANA程血塗られた平和は存在しなかった。アッチラだのコルテスだのヒトラーだのと云った連中なぞ、これに比べたらまだまだ駆け出しもいいところだ。


0559.
時々自分が、単にちょっと悪ぶって見せているだけの小心者の善人なのか、或いはやはり氷の無関心をその仮面の下に隠した偽善者なのか、判断がつかずに混乱することがある。その後で、現実と云うものが常に第一義的な規定から逃れ去ろうとするものだと云う当たり前の事実を忘れてそんなことに頭を悩ませてしまった自分のことを滑稽に思う。だが気付いた時にはもう既に、癒し様の無い憂愁が深く骨の髄まで滲み通ってしまい、このぐちゃぐちゃな現況の中でまた暫く揺れ続けなければならない羽目に陥ってしまったことを知るのだ。


0560.
私の名前を見付けてくれる人を探しているんだが、誰か知りませんか。———え、何を? その疑問詞は何処に懸かるのか?


0561.
ひとつの断定に伴う幾つもの疑問………エポケーを忘れた人生を送る位なら、役者にでもなった方がまだましだ。


0562.
時々自分でもほとほと嫌になるのだが、私は根っからの生活無能力者だ。だが今の若い世代には似た様な者も増えて来ている様でもあるし、余り気にしないことにしている。幾ら気に病んでみたところで今以上にこのちっぽけな俗世間に関心が持てる様になる訳でもあるまい。


0563.
常に余剰の現実を、別の選択肢を、別の可能性を本来的に求める性向が、私が何かしようとする度に決まって私を裏切る。自分を手懐けると云うのは仲々に骨の折れる仕事だ。


0564.
確かに私は色々と悪口雑言を書き散らしたりはするが、人の心の痛々しい部分を抉り出して暴く様な真似は決してしない。それによって自分が如何に下衆な野郎か明らかにされてしまうのかと云う自覚がある場合は尚更だ。私には所謂「無意識」の病巣をつついて愉しむ様な趣味は無いし、況してや、そのことを鋭く突いて来るそれ自体病的な対話者が居る訳でもない。私の書くものには全て、何処か肝腎な所で、人生の核心を取り逃がしていると云う感じが付き纏って離れない。書いても書いても癒されはしない。全てが全くの徒労、そして巨大と云う訳でもないが、大量のムダの集積なのだ。
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