0535.
凡そ第三次産業などと云うものは、有り余る労働(可能)人口を食い潰す為にあれだけ肥大化した分野である。ところがそんな所にも独自の倫理規範と云うかそのアイデンティティーを賭けられる行動原理が存在する様になるものなのだが、しかしそれは如何に効果的に労働(可能)人口を費消するかではなく、如何に最大の余剰価格を生み出すかと云うことに向けられている。従って必然的に、そこからまたあぶれた者達による更なる肥大化を必要とする様になり、悪循環が繰り返されねばならなくなる。新たな食い潰しの為に新たな需要が「発明」される。つまり、無駄を無くそうとして更に無駄を生んでしまう訳である。従ってパロディの重層化、差異の国境化は避けられぬ事態である。


0536.
私がこうやって自分の魂なんぞについて日がな悩んでいられるのも、今日も何処かで誰かが自分の胃袋の心配をする気力さえ無くバタバタと飢え死にしていってくれているからだ。*食事を摂る時にお百姓さんに感謝する様に、今度からあらゆる消費活動や非生産的活動をする度に、「貧困層さんありがとう」と唱えてみてはどうだろうか。

*因みに私は明日の糧について心底怯えねばならぬ状況で瞑想を続けられる程豪胆ではない。年間の餓死者数が僅か二桁の国に住んでいられるとは、何と幸運なことであろうか。


0537.
多くの動物は、起きている時間の大部分をエサの確保の為に費やす。人間は、己の睡眠時間を削ってまでエサの確保に精を出す。人間は今や多くの動物以下の存在である。


0538.
知っての通り私には自伝癖があるが、それはこの私が生きている現在そのものが、「やがては回想されるべく秩序づけられたもの」としての性格を本質的に帯びているからだ。私は始終物語っている。


0539.
私は極く臆病な小市民に過ぎないので、現代アメリカの様な国家には畏怖の念すら覚える。どうしてあれだけ巨大な力が、あれだけ厚顔無恥に、あれだけ情け知らずに、あれだけ我が儘に、あれだけ短慮に、あれだけ卑怯に、あれだけダブル・スタンダードに振る舞えると云うのだろうか。あれは最早在り来たりな怒りや軽蔑の域を越えている。


0540.
小学生の頃は、小説や漫画をよく書いた。尤も、かなり飽きっぽい性格だったのですぐ投げ出してしまうものが多く、それ程纏まった分量になったものは少なかったが。好んで書いたのはSF冒険活劇だが、その一方で何故か筋らしい筋の無い、際限の無い光景、オチの無い話を書いたりもした。当時から、それがまるで果ての無い悪夢の様なものだと云う自覚はあった。性と暴力のスリルで一時凌ぎでウサを晴らすのを繰り返し続けるのか、さもなくば無際限の退屈と不安と直面するのか………今から思えばその点に関しては些か大人びた感性を持ったスレた少年だったのかも知れない。
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