0506.
怒るべき時とそうでない時を截然と区別すること、怒りの時期を法の下に規定すること、その際、良い法と悪い法、つまらぬ法と疎かにしてはならぬ法をきちんと判断すること、それ以外の怒りについては、全世界に対して怒るか、或いは何に対しても怒らぬか、何にせよつまらぬものにはこだわらぬこと(但し実験はやっても宜しい)。
 君は卑小な存在であり、無駄なことに費やすエネルギーなど無いのだと云うこと、全力であらゆるものの運命と対峙せねばならぬのだと云うこと。


0507.
 君の心は全宇宙に開かれているか、
 全宇宙は君の心に開かれているか
 ———一切の些事は無用である。



0508.
君を生み出した筈の全宇宙を、君が選択すると云うこと、事の重大さを自覚せよ、だがそれに押し潰されるな。


0509.
自らを教育する本能と義務とを持つ、それこそが人間の身分であり、これに外れる者は偶々人の形をしている寄生虫に過ぎない。


0510.
不感症の恐怖に耐えられず、かと云って逃げる方法がある訳でもなく、気が狂いそうになることがある。私が見ることが出来るものに比べて、私が今現に見ているもの、していることは何なのだろうと。


0511.
私一人の人生などはどうでもいい。問題なのは人類だ、今のところは無二の存在であるところのこの文明だ。君はこうした精神がこの宇宙に厳として存在していると云うこと、この信じられぬ程途轍も無い可能性の素晴らしさがまだ解っていない、いや、解っていないのだ。


0512.
数学を学べば学ぶ程、自分が今目にしているのは「発明」の産物などではなく、「発見」の結果なのだと云う想いが強まってゆく。この余りにも美事な構築物、尽きせぬ謎を秘めて待ち受けている秩序。だが、我々はその存在理由を知らない、何故数学的な言語を用いた記述が宇宙を説明する際に上手く当て嵌まるのかを知らない、数学が「神の言語(私がこの言葉を使う場合は無論比喩的な意味でのことだ。「(ロゴス )の現れ」とでも言い換えておいた方が良いだろうか)」なのかどうか、我々には判断がつかない。私も考えた、気が狂いそうになる程考えた、そして、自分の余りの無力さに、想像力の貧困に絶望した、人類が2,500年解けなかった謎を、私も解けなかった、私が死ぬ時になってもその無知は相も変わらず傲然と立ちはだかっているだろうと思うと心底ゾッとした、その恐怖には耐えれらなかった。だから私は忘れようとしている、過小視しようとしている、無視しようとしている。弱い私だ。泣いてやる価値さえ無い。
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