0500.
どうしようもなく時代に制約されている。そんなことを書いてしまう自分に我慢がならない。どうせ移ろうのであれば、せめて星々と共に生きたい。


0501.
極論を言えば、公民としては日本と云うひとつの国がどうなってしまおうとも、それは最終的な問題にはならない。国家と云うのは一時の便宜の為に作られた枠に過ぎない。我々が最重要と考えるべきは、人類全体の未来であり現在である。ひとつの国家、ひとつの国土、ひとつの民族などと云う幻想に一時期どっぷり浸かってしまった島国の住民は、どうもそこのところに鈍感でいけない。


0502.
もううんざりだ、こんな不完全な世界にはもう一秒だっていられない、そう思った。だから今、全力でそこから逃げているところだ。


0503.
バカであることと美徳を、白痴と無垢を、信念と厚顔無恥を履き違える人々が住んでいる国に、私達は住んでいる。見識の無い拳は傍迷惑なだけだが、この国の国民は他人のそれには敏感だが、それを自分の身に当て嵌めてみるだけの想像力が全く無い。


0504.
我々の生存の為の最重要条件となりつつあるあるカネの動きが世界市民であることを要求しているこの御時世に、愛国心がどうのとほざいている奴はアホとしか言い様が無い。


0505.
私と云う人格は、気質、年齢、性別、信条、言語等様々な点で異なる大勢の寄せ集めである。従ってそこには当然意見の食い違いや齟齬、矛盾が発生して来る。無理に統一を図ろうとすればそれは必ずどれかを否定せねばならないことになり、誰かが殺される結果となる。従って、一個の人格の中にも一種の法的な約定、互いのテリトリーを定めた決まりについての何等かの合意が必要になって来る。この時重要なのが、各々の調整能力を信頼して一定の規律を課しつつ、好きにやらせることである。これは謂わば法治市民としての教育である。この為にはまた、どの様な私がどれだけいるのか、きちんと把握しておくのが必須条件である。その為、ひとつ上の審級でも相互監査システムでも使えるものなら何でも宜しいが、全体に行き届くだけの眼差しを用意しておかなくてはならない。但し、この眼差しは自分が取り逃がしてしまうもの、自分が生み出してしまうものについて考える余地を常に空けておかなくてはならない。そしてこうした手続き全てには時間がかかることをよく心得ておかねばならない。
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