0480.
あれだけの大爆発の後で、よくもまあまだ存在し続けようと云う気分になれるものだ。定めし、この宇宙全体が、何処か呆れる位に狂っているに違い無い。


0481.
頼む、私を余り怒らせないでくれ。今日は自己嫌悪したくない気分なんだ。


0482.
指導原理 (ト・ヘーゲモニコン )に従うことは誇りや自己忠誠の問題であって、幸福の問題ではないだろう………と考えかけてハッとする。何と貧相な「幸福」の鋳型しか我々は普段持っていないことか。


0483.
総有権者数に於ける投票率に比例して当選する総人数自体上下すると云う選挙制度を作ってみたらどうだろう。投票率をあげるか、或いは国民が、自分達は、自分達のツケは自分達が払わなければならないのだと云うことも解らなかった底抜けのバカだったと云うことを思い知る格好の機会になることだろう。
 ………どうやら私もかなり投げ遺りな気分になっているらしい。


0484.
100万人が1年間読むよりも、100人が100年間読み継いでくれる本を書きたい。だが、私が書かねばならぬ本は、100万人に少なくとも10年は読んで貰わねば意味が無い。因みに、この2つの「100万人」の構成は全く異なったものになるだろう。


0485.
書店や図書館は正に悪夢の様な場所だ。何か特定の事柄について知りたくて、或いは単なる暇潰しの為に、或いは蛾がランプの明かりに群がる様に言葉では取り敢えず名付けてみる以外に上手く説明しようのないデモーニッシュな衝動によって、或いは未知の新たな選択肢を模索する為に、ぎっしりと本の詰まった本棚の間を歩いて行く。そしてその中の一冊、或いは数冊を無雑作に手に取り、パラパラと頁を捲り、前書きを、後書きを、註を、奥付を、参考文献一覧を、テキスト注解を、そして本文を、手早くざっと確認する。時には何処か一箇所で立ち止まって、その感触を、文字の手触りを、広がる連想の網を、何度か往復運動を繰り返し乍ら、時には奔放に、時にはやや手綱を引き締めて、少し時間を掛けて確かめる。買ったり借りたり、或いはその場でもっとじっくり読んだりする可能性のあるものは、その儘手に持ったり、他の本とは一寸ずらしたり離したりして置いたりして、そうではないものについては元あった場所に戻す。気になり続けるものもあるし、その儘あっさり忘却に委ねてしまうものもある。図書館であれば選んだ本と近くの空いている机で同様の流し読みを繰り返す。流し読み………その過程で、実に様々なものが惜し気も無く切り捨てられ、無視され、殆どの場合何の感慨も無く忘れられてゆく。誰かが文字通り生命を賭けて発したかも知れぬ言葉、誰かの真剣な知的格闘の成果、何年、何十年、或いは何百年と云う知識の集積の結果、違う読み方をしていればもっと生命を持てたかも知れぬ文章、学生や研究者が何年も苦労してようやっと理解出来る様になる理論、未知の素晴らしい世界への扉が隠されていたかもしれない行、私のことをずっと待っていたかも知れない章、長いこと誰も聞く者の無かった悲痛な叫びや瞑想の果実や想像力の落とし児、私が知るべきだった深い洞察やきちんと取り組むべきだった深遠な学説………そうしたものどもが、まるで最初からそこには存在していなかったかの様に、再び忘却の淵へと沈んでゆく。書棚はまるで何事も無かったかの様に再び沈黙の帳を下ろす。その省略されてしまった意味の重大ささえ知ることなく、私はそこから離れてゆく。その時取り零したものがもう二度と手に入らないものなのかも知れないと云うのに、まだまだ読まれていない途方も無い量の本が待っていると云うのに。後には無言の闇だけが暗く、深く広がってゆく。そしてそれらに対して私は何の約束も与えることが出来ない………。
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