0422.
ヒトは学ぶことが出来る生き物だ。だが愚かさの自覚はきちんと訓練し習慣づけてやらなければ、他の一切合財をまるで無駄なものにしてしまう。


0423.
一切合財この世界の全てを終わりにしてやりたいと思ったことは何度もあるが、殺したいと思う程に憎い相手にはまだ逢ったことがない。滅ぶべき相手が人間、一人の人間などではとてもとても役不足なことを知っているからだ。或る意味で私は、愛に満ち溢れた人間とそう変わらない。


0424.
ここ暫く数学書を繙いていない。そのことに何も感じない自分を恥ずかしく思う。「永遠不変の………」と言いかけて舌が止まる。ゲーデルの悪夢から顔を逸らしたいと云う誘惑に負ける。美と敗北とが抱き合わせになっている事実を残酷だと思う。どんな悪虐な独裁者でさえ、ここまで徹底した冷酷さを示すことは不可能だと思う。そして結局また耐えられずに泣き寝入りをする。溜息を吐いてみても大して慰めにはならない。


0425.
私は常に物事を一般化し、普遍化して(或いは「永遠の相の下に」)考える習慣が身に染み込んでしまっているので、屡々知人達との「おしゃべり」に困難を覚える。30分も経てば忘れてしまえる様な話題のみについて話し続けることに耐える方法など、私には想像もつかない。


426. 目の前の状況から一歩身を退いて、或いは全てを掌握して全体を一望することの出来る眼差しが存在する、と云う希望的観測はなるべく早めに捨て去ることだ。………少なくとも生身の人間に関しては。全員が、この世界の直中に巻き込まれていて、愚かな君と殆ど変わるところはない。王も、賢者も、預言者も、そうした者共全員は、人類が背後に置き去りにして来たちっぽけな世界の中で、一緒に朽ち果ててしまったのだ。全員が漕ぎ手で、海図と羅針盤を持った船長はいないのだ。船が沈むのが嫌なら、一刻も早くより大きな眼差しを自分の手で獲得しようと努力することだ。実感は後からついてくる。取り敢えずは知ろうとすることだ。無知に安呑とすること、それは自分の死刑執行書にサインしているのと同じだと考えろ。


0427.
私は時局の精神分析をしてのける様な評論家やその類いにはならないし、なれない。何せ私はもっと広い舞台を、出来れば永遠の相の下で世界を眺めることを欲しているので、明らかに一年か或いは十年もすれば耐用年数が尽きてしまう様な文章など書いたりはしないし、また書こうとしたとしても集中力が続かない。尤もこれには一寸ばかり但し書きが付いて、私がしょっちゅうこうした事柄に気を取られてしまうのもまた事実なのだ。私は内省的な男だが、自分が今時代の流れのうつろいの中でどの辺に位置しているのかを常に問いかけ続けると云うことは、既に私の本質から分かち難い頑固な習慣の一部となってしまっている。因みに若し私がもっと外向的な人間であったならば、先の台詞はもっと鼻持ちならないものになったことだろう。
 ではそうした反省を私はどうするかと云うと、大抵は独り胸の裡に秘めておくか、或いは口頭に留めておいて、時間の風化作用に任せておくのだ。私がものを書くのは、自分が一個の精神として生き延びる為なのだが、目の前のあれやらこれやらに相手をして貰ったところで、嬉しくも何ともないからだ。尤も、私の虚栄心は時々それを要求することがある。
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