0416.
 「君はこの世に不満を並べ立てたり悪態を吐いたりしてばかりいるけれど、君は一体何を楽しみにして生きているんだい?」
 「この世に不満を並べ立てたり悪態を吐いたりすることが唯一の楽しみなのさ」


0417.
国家とは、国益を追求する生き物だ。だが、その偏狭な基準に於てでさえ、「国益」と公称されるものがその国民の大多数の利害と一致しないことがままある。しかも更に恐ろしいことに、当の国民達自身がそのことに気付かないことが多い。阿呆が蔓延る土壌は十分と云う訳だ。


0418.
外的な要因による失敗は、そうならなかった可能性と云う幻想によって、我々の虚栄心を満たしてくれる。内的な要因による失敗は、その全く逆だ。わざわざ言うまでもないだろうが、大量の恥と言い訳と自己嫌悪に埋もれて死んでしまうのが嫌ならば、一刻も早く綺麗さっぱり忘れてしまうよう努めるのが、分別のある唯一の道と云うものだ。教訓を得て成長する良い機会だ、などと云う戯言 (タワゴト )を信じるのは、若い内であればそれは経験の不足によるものだし、年を取ってからであれば、それは結局その年に至るまでその当人が深い自己洞察に遂に到達し得なかったことを証するに過ぎない。自分が主体として完璧からは程遠い存在であると思い知らされる機会は、潜在的にはあらゆる行為に内在しているのであって、我々はその惨めさに、心臓の鼓動と同じく一生付き合ってゆかねばならぬのだ。


0419.
私は基本的には温厚な性格で、お行儀の良い消費者、無害な市民としてそれなりに上手に振舞っている積もりだが、それでも時には憤激で息が詰まりそうになることもある。これは私が短気な所為ではなく、世の中がそれだけ愚かしいことどもに満ち溢れているからである。


0420.
私は単純さを好む人間なので、込み入ったジャーゴンやら「詩的な表現」やらを大量に投入した文章を濫発する20世紀の筆者を好まない。確かに、新たな概念や物の見方を創造するには、新たな単語や言い回しが必要不可欠な時もある。だが巡り巡ってみれば、それは結局は細かな差異を競うだけの閉塞的なオタク的行為であると判明するだけに終わることが殆どなのだ。人は明晰に思考すべきだ。晦渋への誘惑は堕落と地獄への招きと思え。


0421.
現代世界文明の正体、小学生の頃からそれが知りたくて堪らなかった。一通りの満足のゆかぬ解答を得た後、今では「何故」と云う疑問は表舞台からは姿を消し、「これからどうすべきか」と云う問いが私の胸から離れない。これは逃避と呼ぶべきだろうか。静かな諦めはバランス感覚の発達によるものか、それとも堕落によるものか。建設的になったのか、それとも裏切りか。
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