0395.
欲望を充足させるのではなく、(たわ )め、歪め、ぎりぎりまで抑圧し強度を出来るだけ大きくすること、対象を遠くに置き、不可能性の刻印を捺すこと。ほんの一瞬の表出のみで我慢し、そこであり余る余白を想像で埋め尽くすこと。重要な変化を全て吸収し乍らも尚且つその時間性を無視し、永遠の層の下に対象を引き摺りこむこと。


0396.
もう何年も(恐らくは十数年も)肉眼でブレていない月と云うものを見たことがない。


0397.
何処まで行ってもヴィブラ−ト等のかからぬ真直ぐな音。一点の濁りも混入していない、気息を感じさせない曇りの無い音色。流したり跳ねたりするのではなく、積み重ねてゆくことに重点を置いた構成。高みをではなく、深みを目指して深く深く沈潜してゆく音階。
 制度としての宗教に立派な言い訳があるとしたら、そのひとつは、こうした音楽の存在し得る空間を演出してくれる、と云うことだ(立ち止まることに関して他人の無理解に対して自ら名乗ることが出来ると云うのは、大いなる労力の節約になるのだ)。


0398.
ギリシャ語やラテン語と比べれば、英語や仏語なぞ、酷い訛りのある田舎の方言が偶々大きな勢力になったからと云って大きな顔をしているに過ぎない。だから、発音が多少上手く出来ないからと云って、世界史的に見ればそれ程気にする必要はない。第一、「標準的な発音」「理想的な発音」なるものが制定されている訳ではないのであるし。


0399.
日々と云うものが常に新しく生まれているものだとしたら、毎日の退屈もまた常に新しく生まれている。しかし不思議なことに、それはずっと同じ顔をしているかの様に見える。新鮮味のある退屈と云うものに、一度お目にかかってみたい。


0400.
「人生」とか「生涯」とか「生活」と云うコンテクストに於て、何か確たる信念を持っている者、或る時期の特定の状況に於て偶々何となく当て嵌まると思われたレトリックを全場面へと敷衍し、何かあった時常に帰るべき場所にすること、特殊な地点から全世界を見ること、いやより正確に言い換えるなら、そうした地点から眺められたものとしての世界を生きてゆくこと———他人の偏狭な人生訓とやらと出会した時にはそんなことを思う。だが不思議なことに、自分を例外と考えたがる癖については、私も例外ではないのである。
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