0379.
神の書いた歴史書と云うものを想像して見給え。何も余す所無く、些細なことまで、見られなかったもの、知られなかったもの、隠されていたものまで、何もかもが網羅されてあるのだ。子供の頃は、大人の世界には、それそのものまでは無くとも、それに近い物があるものだと想像していたものだ。人間の余りの不完全さに幻滅を覚えるまで数年もの月日を要したと云うことは、今から思えば驚くべきことの様に思える。愚かとは言うまい、無邪気と言っておこう。


0380.
年を取って、段々と、物事のいちいちについて(その時点に於て可能な限り)厳密に論理的に考え詰めても、それを余り気にせずに日常生活を送れる様になってきた。これは成長とか知恵の類いなのか堕落なのか、知ったこっちゃない。静かに気が狂ってゆくよりはましってものだ。


0381.
全てを、その混乱の儘似受け容れること———それを悟った時、私は涙を流すでもなく微笑むでもなく、笑い出してしまった。そして今でも笑い続けている。


0382.
ネモ艦長がダカール公として死んだ時、ネモ艦長と同じく、一介の天才技術家として死んだ。彼が結局は何事も成し得ず、20世紀を生き延びられなかったのも当然と云うべきだろう。


0383.
どうやら私は連続した過去の上に成り立っているらしいのだが、それが不思議でならない。私はこんなにも他人の集まりなのに。


0384.
病の「発見」と治療の過程としてのストーリー。特に、映画等。その総合表現形式としての威力を見せつけられ、この身で実感した後では、自分のやっていることが何ともうすら寂しいものに思えて来る。
 だが結局、私が映画の道へ進まなかったのは、自分は映像や音楽ではなく概念によって生きる人間であり、言葉を長いことほったらかしにしておくと窒息してしまう人種なのだと解っていたからだ。
 こうして書くことでも、少しは息継ぎが出来る。だがこの病に終わりは無い。EDマークを決して見られないのが、自分の人生を自分で生きなければならないことの辛さだ。


0385.
他人が書いた/作ったものであれば、明るく楽しい話がいい。暗いだけの話は余り繰り返し読みたい/観たいとは思わない。況して、自分の書いたものなど、出来るだけ片っ端からクズカゴへ放り込んでやりたい位だ。
inserted by FC2 system