0370.
大雑把に言っても、気分には三通りある。*極く一時的なものと、一寸気を抜けば直ぐそこに立ち戻ってしまう持続的なもの、そして、具体的な対象を全く持たぬ恒常的な存在了解。私の知っている三番目の気分の中で最もタフなのが退屈だ。

*東洋の叡智としては、これにせめてもうひとつ付け加えたいところであろう。


0371.
顕在的、乃至潜在的な他者の視線こそが、躾、徳目、あらゆる自己規律の根本であると云う主張にはそれなりの説得力がある。現に私は具体的な他者の視線が不在な状態では、摂食や排泄等さえ満足に出来なくなる。我々が肉体の不愉快を多少なりとも軽減乃至制御出来ているとすれば、それは眼差しと云う発明品のお陰である。


0372.
署名が為された途端、物語は神話であることを止めてしまう………。


0373.
実存こそが我々の出発点である、と自分に言い聞かせる位の気概が無くては、精神のプライドを保ち続けるのは難しい。自分の鈍感さによっぽど自信があるのならば別だろうが。


0374.
進化論的な説明は便利だ。生命の戦略は実に懐が深いので、一見正反対のものにも楽々とそれらしい説明を与えてしまう。だが、余り調子に乗り過ぎると、「マルクスにフロイトのお次はダーウィンか!」と偏狭な理性至上主義者に批判されるハメになる。


0375.
涼しい部屋で比較的幸福な眠りに落ちて行く前の数分間(間違っても数十分とか数時間とかではない)、精神と肉体とが普段の互いの確執を忘れ、過度ならぬ疲労の庇護の下に対立を何処かへ置き忘れて来てしまう、そんな時———私はその時、優しい弁解の声を聞きたいのかも知れない。私の不平不満に対する、納得は出来ぬまでも、そんなことはどうでもよくなってしまう確たる論駁を。


0376.
唯一神的な発想に対して「このファシスト野郎!」と云う叫びを上げてやりたくなることは何度もあった。だがそれを言った人物に対して、尊敬の念を抱かざるを得なかったことも度々あった。人類の知的遺産には二種類あるのだろう。具体的に結実した成果と、それに対する態度と。どちらにしても、私が恥じ入らなけらばならないことに変わりはない。
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