0357.
今日は暑い。日本本州らしい暑さだ。従って狂うにはより一層不適切な日だ。誰もが狂っておかしくない日に私みたいなのが一人増えてみたところで、まるきり何の有難味もない。


0358.
見るからに不味そうな飼葉、さもなければ札束に囲まれた、ビュリダンのロバ。
 思案の手順は逆になるが、結果は同じだ。


0359.
一瞬一瞬に取り返しのつかない決定が成され、世界は不可逆的に選択されてゆく。この重みに押し潰されて発狂することから我々が免れているのは、偏に、我々が世界の広がりを十分に想像するに余りに貧弱な瞬間をしか生きていないと云うことと、時間の経過に対して我々の生きている瞬間が余りに無力であると云うことからである。我々は、自分の無知と無力に大いに感謝すべきなのだ。


0360.
惑乱、黙想、分析、解釈、推論等々、所謂内面的な事象を含めて、「自我極(Ich-Pole)」が行うあらゆる行為を通じて、世界は選択されてゆく。これは認識論上の文脈で使われる用語なのでその儘ここで用いることには躊躇いがないでもなかったのだが、認識もまたその主体を問うことの出来る事象だと云う点に於ては紛れもなく行為であると見做すことが出来る。この際それが意志的であるのか、或いは意識的であるのかどうかと云うことは大して重要な問題ではない。そもそも、自我極そのものが普通消去法以前に表に現れることなぞないのであるから、寧ろ存在論的に主体として遡及可能かどうかと云うことだけが問題となる。実存は無論常に意識的であることを期待されてはいるが、だからと云って我々が常に———或いは、一度たりとも———完全に目の覚めた状態でいられるのかどうかなぞ、何も保証はありはしないのだ。


0361.
ささやかな惨劇は人生のスパイス。


0362.
私は常々、自国の政府のお偉い方が殆どどうしようもなく現実の見えないバカだとバカにしてきた。だが今日の新聞には、私のささやかな見識なぞ現実に追い付き切れていないのだと嘲笑うかの様な記事が載っていた。どうやら連中は単に無知で無能で無気力であるだけでは飽き足らず、積極的に有害であることをアピールしたいらしい。ここまでくるとまともにコメントする気力すら殺がれてしまう。人間の愚行と云うものを歴史の教科書で教えるだけでは飽き足らず、実地で目の前で繰り広げてみせてくれようと云う訳なのだ。こうして我々は、どうしようもない程愚かしい、しかも巨大な行為を相手にした時にどう振舞うべきかについて、実際的な忍耐と想像力の限界を試され、またひとつ改めて教訓を得る機会を得るのである。
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