0343.
「ああすれば良かった」と云う後悔と、「どう選択してもどのみち同じことだったろう」と云う後悔は、どちらも激しく無力感、無能感を喚起するが、後者はそれこそどうしようもない。


0344.
 「これは一体、何か酷い間違いじゃないかと僕は思うんですが」
 「そうだろうね、私もそう思うよ」
 「では何故貴方は今もそんななんです」
 「慣性の法則と云うものを知っているかね」


0345.
厚顔無恥と云う言葉を思い浮かべる。駄目だ、目の前のこの男は腕っぷしだけ強くなった只のでっかい欲求不満の赤ん坊だ、動物と同じレベルの生き物に節度や礼儀を求めると云うこと自体無理がある話なのだ。その必要の無い場面では、奴等は獣としても本性を露にする。奴等が一見同じ言葉を操る分、こちらはそれだけ余計に疲れるだけだ。全く、首輪を着けるか奴隷にでもするか刑務所か癲狂院にでも押し込めるしかない人種と云うものは確かに存在するのだ。奴等は多様性の確保と云う点を除いては文明の進歩には全く貢献せず、手に届く所にあるものだけを欲しがり、そして手に届く所にあるものならば何でも取ろうとする。しかも我慢や忍耐と云うものを知らないから、いざその欲望が満たされなかった場合の奴等のヒステリーと云ったら!


0346.
まだ十代の、或いは二十代前半の内であれば、Wille zum Leben (生きんとする意志) と云う言葉にも某かの実感が伴う。しかし、無駄に年齢を重ねて多少は物事が分る様になってくると、残されるものと云ったら、果てし無い退屈、退屈、退屈だけだ。


0347.
散文には耐えられない。だが私には散文しか書けない。私は、生まれ落ちた時からバラバラ屍体だった。


0348.
時々真っ当な言動を取る。そして真っ当な人間として振る舞う。フリだろうと何だろうと、この際どちらでも同じではないか。


0349.
自分がまだ正気かどうか自問してみる。「まだ」?———とんでもない、私は未だ曾て一度も正気であったことがない。かと云って、自分が完全に正気であると確信するまで正気から程遠い訳ではない。難儀なものだ。
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