0318.
今日は腹の調子が良くない。この世の肉体的
な現実なぞ一切合財滅びてしまえばいいと思うだけの理由に、今日も事欠いていないと云う訳だ。
0319.
不幸なことに、我々には想像力と云うものがある。従って、何かを達成しようと考えている時も、何かを達成してしまった時も、自分には所詮何ひとつ意味のあることなぞ達成出来ぬのだと云う嘆きから、我々は逃れることが出来ない。一切の栄光は絶望と抱き合せ。
0320.
今見えているものを決して鵜呑みにしないこと。
切り込む為の刃を出来るだけ鋭く研いでおくこと。
切り込む時は出来るだけ多くの角度からより深くを目指すこと。
一度切り込んでもそれに満足しないこと。
常に裏側を覗き込もうとする姿勢を保つこと。
まだ知らないこと、まだ見たことのないものへの余地を常に心の中に確保しておくこと。
一旦バラバラにしたら、そこから再度全体を目指すこと。
些細な意味も疎かにしないこと。
あらゆるものに意味が与えられる様に工夫すること。
同一線上にあると思われる無知に対しては傲岸でも良いが、その際必ず怒りを覚えること。
より大いなる知に対しては徹底的に謙虚になること。
己の思索の歩みと書棚の中身とを銘記し、取り零しの無い様にすること。
自分が有限的な存在であり、その知もまた必ず有限的なものであることを自覚すること。
驚異と畏怖の感覚を涸れさせない様にすること。
苟しくも、知性と想像力とを備えた者であれば、それを最大限発揮することに関して、世界に対しては責任を、人類に対しては義務を負っていることを心得ておくこと。
忘れざるを得ない無駄な細部が発生してしまうのは、己の不甲斐無さに起因するものに過ぎず、全知の者であれば決して何ものも疎略にせぬのだと自戒しておくこと。
うっかりしそうになったら、物質的な世界と精神的な世界とがあることを思い出し、安易に棲み分けをさせたり、或いは逆に一元化したりしないこと。
知の形態についての吟味を怠らないこと。
我々が内観し、内言し、瞑想し、直感し、熟考し、連想し、発言し、記録し、想起し、運動し、学習し、成長し、要するに生成する度に、世界もまた変わると云うことを忘れないこと。
我々もまた存在であり、生成しつつある部分であることを忘れないこと。
事物を事象として、存在を関係として、また生成として捉えること。
コンテクストをあらゆる前提に導入しておき、またそのことを念頭に置いておくこと。
この世に「単なる」ものなど決して存在し得ないことを心すること。
既成の分類に拘泥したり盲従したりしないこと。
常に自分の頭で考えようとすること。
面倒でも全体と部分との間を、互いを呑み込み合う二匹の蛇の間を忙しなく往復運動すること。
その時に居る場所から常に一歩退いてみようとすること。