0290.
人生とは単なる肉的・社会的な生に於ける生存競争以上のものであるべきだ。その余りのバカバカしさに一体何時までウンザリさせられねばならないのだろう。最たる例として金のことばかり心配している者は、やがてそれが人生の第一義と化してしまうことに何の疑問も抱かないものだが、しかもそこには独特の道徳観が打ち立てられてしまうので、それを押し付けられる方としてはたまったものではない。


0291.
暑中に冷を求むるよりは寒中に暖を請う———私に合っている生とはそうしたものだ。


0292.
頭の中で思い描いていた音色と、実際に紡ぎ出される音色とのギャップに激しく失望する経験を何度も繰り返し、しかし只の一度も多少たりとも満足の得られる瞬間が無かったとすれば、私が演奏を放棄したとしてそれはそれ程責められるべきことだろうか? 良い耳を持っていると云うことは結構なことだ。だが、分不相応に良過ぎる耳と志向を持つと云うことは困ったことだ。だが、この困った状態でなければ私は私とは言えないのであるから、実に困ったことであるのだ。


0293.
拳の必要性を訴えるなら、せめてその先に口と手を最大限動かしてみてから言って欲しいものだ。相手が拳を固めているからと云って、では何故そうしているのかと問うてみようとしないのは愚劣であるばかりか甚だ有害である。


0294.
魔の退屈———これこそが、人類文明の起爆剤であった。
 人類の一員としてはこの有るを慶び、その成してくれたことどもに対して恩義を感じて然るべきなのだろう。
 だが、一個の精神としてはとてもそんな気分になれないのは理解して貰えると思う。
 しかも、豊穣な地盤を提供する退屈も確かにあるにはあるのだが、不妊の退屈の方がずっと数が多いのだ。


0295.
自分が妊娠から疎外されて在ること———また去勢され切っている訳でもないのに、精神的に不妊であること———恐らくはその代償ではなく復讐として、私はものを書き続けているのだ。
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