0287.
私は中国人一般に対して、何か特別な偏見を持っている訳ではない(と、そう信じたい)が、個々のイヤな中国人には何人もお目にかかったことがある。我を通し、ルールを無視し、ウソや誇張を生きる為の当たり前の方便として何とも思わない連中だ(残念乍らそうでない中国人と知り合った経験はこれよりずっと少ない)。映画等で小悪党のペテン師が口先八丁で周囲をだまくらかすのは見ていて小気味良いが、それを目の前で、日常レベルでやられた日にはたまったものではない。若し仮にあらゆる中国人があらゆる局面であんな風であったとしたら、中国にマトモな国家建設を期待するのは無理と云うものだろう。論の正しさそのものよりもとにかく相手に勝つことが大事、と云った具合に、思想上の議論でさえ利権争いの臭いがしてきそうな国なんてものにはとても住む気にはなれない。同じ様な理由で、私は所謂大阪人も嫌いである。実情を知らないので実際のところは何とも言えないのだが、インドで暮らしてカルチャー・ショックの余り自殺してしまった人の話を聞いたことがあるのだが、丁度そんな具合だったのではなかろうか。一般大勢とは違う。だが時としてそれはイコールで繋いだところで何等問題なくなってしまう。そんな事態には嵌り込みたくないものだ。


0288.
たかが牝一匹*に全宇宙を引き渡す覚悟がなければ、恋愛なぞは止めることだ。*その点、想像力の貧しい人間は便利である。元々ちっぽけな世界しか知らなかったものだから、狭い世界がまたぞろ少しばかり狭くなったからと云って、不便を感ずることが少ない。

*無論その時私は一匹の牡と化すのである。牡と牡、牝と牝、或いは(面倒なので省くが)もっと複雑な結び付きに関しては、私は経験がないので何とも言えない。ここで語っているのは、一個人の有限の実見聞に基づく見解であって、もっと応用度の広い一般論は生物学者に任せることにしよう。

**若し意志が及ぶ範囲がそこまで広ければの話であるが。また、フィチーノ辺りが見たら呆れて物も言えなくなる様な単なるメイティングなぞは論外、ここでは取り上げるに足らない。幸運にも両者への忠誠が調和したり、或いは破局に出会さずに済んでいる事例もある様だが、所詮は全体と部分の覇権争いである。


0289.
文部科学省の教育方針が根本的におかしいのは、政府や個々の家庭人としての国民が求めているのは、のびのびとした精神、人間性豊かな魂なぞではなく、競争力のある機械、既存の経済機構の大本の枠組みを壊すことなくその中で上手く立ち回って勝って生き残れる人材、或いは消費者・納税者として大人しく搾取されるに甘んじてくれる家畜であるにも関わらず、それが第一義ではないかの様な振りをしていることだ。腹を空かせたソクラテスなんぞはこの国ではお呼びではないのだ。然るに、「楽しんで、或いは、喜んで働け」と云う命法に対して即自的であることが求められていると云うのに、それを対自化する努力を全く行っていないのは、偽善と云う他ない。人々の経済活動に即した現実———それと対決することを教育機関が延々先延ばしにしていて、まともな子供が育つと考える方がおかしい。
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