0283.
今更改めて言うのも馬鹿らしいことではあるが、個々人の「参加」*したものとしての戦争の責任について考える際、決して忘れてはならないことは、心情や動機の「純粋さ」**の如何によってその結果としての行為を判断してはならない、と云うことである。近代社会で本当に恐ろしいことのひとつは、全く小市民的な一個の常識ある人間でも、一度組織、機構、制度の中に組み込まれてしまうと、全く恥知らずなことでも平気で、良心の呵責も葛藤も無しでやってのける、と云うことである。家庭では良き父、良き夫である人物が、平気で大量虐殺の命令を出せると云う現実を、知らないとは言わせない。私は日本人が100%大義の為に犠牲精神を発揮して戦いに臨んだなどと云うタワゴトは全く信じていないが、百歩(本当は万歩位か?)譲って若し仮にそうだったとしても、彼等が結果として犯した残虐行為の正当な弁明とは成り得ない。***その論法で行けば、ヒトラーだって、憂国の志を持った「純粋」で立派な人間だったのだ、と云う主張が許されることになる。動機に、人間性尊重を基幹とした見識を伴わせることが出来なければ、その結果としての行動は無駄、無意味であるばかりか、甚だ有害でさえある。今日全世界を覆う人権軽視の風潮にメスを入れる為には、靖国や『宇宙戦艦ヤマト』タイプのメンタリティを、集団と云う単位から捉え直して直視することがどうしても必要である。

*「巻き込まれた」とは敢えて言わない。如何なる個人にも抵抗と抗議の為の最後の手段、自分の生命が残されているからである。これが厳し過ぎる基準であることは承知の上で敢えて原則にこだわる。御寛恕頂きたい。

**些か鼻につく便利過ぎる言葉ではあるが、要は正常な批判力を欠いていることへの言い訳、美化として用いられるのが常である。

***戦争と云うものが、一般の殺人等と違って、そもそも充分に情況を整えることまで含んだ上での発言である。


0284.
我等を高みに引き上げるのはあの女、この女ではない。そんなものが通用するのは精々、気性の粗い酒飲みの(けだもの )位のもので、それとてシラフにさせるのが精一杯と云ったところだろう。


0285.
物事の裏側を嗅ぎ付ける才能は貴重だが、余りに早い段階で裏側が見えてしまうと云うのも、それはそれで非常に詰まらぬことではある。人生を適度に楽しみ、幸福を味わうには、それなりの無知が必要になるのだろう———少なくとも、居直りや厚顔は、私には出来そうにない。


0286.
私の様な鈍重な肉体を持つ者は、この世に生まれ出たことを恨むに足る既に十分な理由を持っている———そう思わないか?
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