0273.
歌*は嫌いだ。  唯生きて、その結果として歌が生まれる———それだけだからだ。謂わば人生の派生物なのであって、派生させる方ではないからだ。生と云う流れに生じる飛沫であって、新たな流れではないからだ。
 それでも歌を作ってしまうのは、私がまだつまらぬちっぽけな生を生きているからだ。歌は、私の屈辱と痴態の証しなのである。

*「七五の風景」で紹介している様な短歌や短い詩等を指す。


0274.
始める時には国家を名分とし、終わってみれば個人を言い訳にする………こんなことを平気でやってのける連中に、「厚顔無恥」と罵ってみても無駄なことだろう。奴等はそもそも他人に押し付けるワガママ以上の主体的志操は持ち合わせていないからだ。


0275.
人間の堕落には際限が無い。
 自分の無知*を棚に上げてより正気に近い者達の言に耳を貸さないどころか、その口を縫い閉じようとする。何処からか賃借りして来た尤もらしい言い訳を彼等に押し付けるばかりか、彼等が自分でそれを口にするように有形無形の策略を巡らす。そして剰え、それら一連の悪徳行為に対して何等の自覚をも成さず(と云うより、出来ず)、寧ろ大いなる善と思い込んで目先の利益と満足に執着する。

*この場合、無知やそれに対する精神の健全さ等々の定義についてあれこれ言い繕うことも出来るが、この発言は記述的なものではなくて戦闘的なものであるから、余りボロを出さない程度で退いておくのが上策と云うものである。
 それでなくとも、人道上の明白な(意図的なものも含めた)無知———それは人類全体に対する罪に等しい———と云うものは、既に有り余る程に存在しているのだ。



0276.
巨大企業主導の資本主義支配のグローバル化にもいいところはある。それは今だ国家と云う呪縛に囚われている人々に、世界規模での団結・同盟・抵抗・変革、そして情報の公開とその適切な解釈と云うものについての意識を、差し迫ったものへの反発、追い詰められての反感と云う形で鍛え上げるのに貢献してくれるかも知れない、と云うことである(皮肉に聞こえるだろうか。物事は前向きに考えようではないか)。


0277.
「クリエイター」の多くが、成功し始めると同時に毒気を抜く職人芸を発揮する様になってしまうのは残念なことだ………無用なばかりで悪意を撒き散らすだけの毒気が消える分にはいいのだが、そんなものはどのみち長期的には自ずと消えてしまうので、それよりもそれが善意の仮面を被って再登場した時の方が危険である。例えばスピルバーグなぞは、マッド・サイエンティストやアンチ・クリストをマイホーム・パパに変えてしまうし、この世の大地獄も極々個人的な感傷物語に変えてしまう。『素晴らしき哉、人生!』と云う訳だ。
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